被災地支援の「現場力」で、子ども食堂を

子ども食堂

<インタビュー・矢沢りえさん>

東日本大震災・被災地での子ども支援が、活動の原点

「ピースプロジェクト」の歩みを語らずには、「ピース食堂」のお話に進めません(笑)。

 

理事長の加藤勉は、NPO法人AAR Japan「難民を助ける会」(以下、AAR)の理事を務めており、今もそうですが海外での活動に多くかかわっています。

 

2011年の東日本大震災では、AARの協力を得て、いの一番に被災地へ入り、炊き出しや子ども支援活動を始めました。エリアは、宮城、岩手、福島の3県。AARは高い組織力があり、資材もたくさんあります。ただ、こまかく動けない。「障害者支援が中心」「炊き出し支援は優先できない」など、調整に時間がかかる。「これでは自分がやりたい支援ができない」と、加藤は、独自に“炊き出し支援活動”を行いつつ、同年10月NPO「ピースプロジェクト」を設立しました。

 

彼は、ライセンス事業を展開する株式会社イングラム代表取締でもあります。事業の利益を社会に還元したいと、2002年にAARと一緒に『ピースプロジェクト』を立ち上げました。当時は民間企業の社会貢献プログラムでしかありませんでした。

その対象は世界の“未来の宝物”、すなわち子どもたちです。そんな子どもたちが、瞳を輝かせて楽しく笑顔になることが、私たちの課題命題です。

 

被災地・南相馬市への「子どもまつり」を軸に、継続的な支援

東日本大震災から1年後、2012年のことです。被災地である福島県南相馬市出身のスタッフによると、同市で避難所生活をおくる小学生の肥満度が「日本一」だと。当時、原発の放射能汚染の影響で、外出できず、体育の授業も中止。日々、狭い仮設住宅で過ごす生活が続いたからでしょう。

 

そこで、彼らが思いっきり外で遊べる「子どもまつり」を、2013年5月5日、南相馬市で開催したんです(2011年~2012年の子どもまつりは陸前高田市で開催)。お子さんは無償でご招待しました。開催地は、最終の除染が終わった高見公園です。広場には、日本中から集められた鯉のぼりを空に泳がせて、ふわふわ遊具や屋台を持ち込んで焼きそば、スーパーボールすくいなんかもあって、もう縁日のように賑わいました。来られたお子さんは、大いにはしゃいで楽しまれて。以来、毎年5月5日、継続的に行っています(コロナ禍の2年間は欠けてしまいましたが)。この「子どもまつり」によって支援活動の輪が、さまざまに広がりました。

 

北軽井沢の「outside  BASE」さんは、被災地でキャンプができないなら、軽井沢のキャンプ場にと、南相馬市の子どもたちを招いてくださいまして。ピースプロジェクトのメンバーが、親元を離れた子どもたちに寄り添い、昼は飯盒炊さんをやったり、夜は肝試ししたり。

南相馬市を中心とした活動では、秋に北海道富良野市から届けられる野菜を無償で配る「南富良野町野菜イベント」も行っています(現在は休止中)。

更に福島県全域の子どもたちを、「見えない放射能からの保養にイタリアで1カ月行ってもらおう」というミラノ在住の日本人が中心として立ち上げたプログラムの日本サイドの窓口となりました。2013年から5年サービスを提供。

 

また、ピースプロジェクトでは日本で災害が起これば、各被災地へ緊急支援に入っています。

2016年4月に発生した『熊本地震』では発生の翌日朝に現地入りし、その夜に起きた震度7の本震にも遭っています。

以降ほぼ毎年地震、台風、洪水といった災害が起きるたびにいち早く駆けつけて、ピースプロジェクトらしい“ふれあい型支援”を行うよう心がけています。

 

コロナ禍で1年活動中止の末、「子ども食堂」にトライ

そして2020年、コロナが来ました。南相馬での活動が、出来なくなってしまいました。私たちの拠点は東京。もうだいぶ記憶は薄くなっていますが、あの当時、東京の感染者数は日本でも断トツでした。地方の人からすると、東京の人間が行くことは不安を与えます。こちらも、お子さんを持つ親御さん、イベントを主催する方々、行政の方々にご迷惑をおかけするのは、一番意図することではない。「出来そうだったら、やりましょう」と声をかけてくださるところもありましたが、検討した結果、「今回は難しい…」と断念。ほぼ1年間活動ができませんでした。

 

コロナ禍は、まだまだ続きます。「どうしましょうか」となったとき、「東京の者が、足元の東京で活動する分には、みなさん、抵抗感は少ないだろう」と判断。ミーティングを重ねて、「子ども食堂は、どうか?」と。それで私が、調べることに。

 

そもそも当会では、緊急支援でもイベントでも、基本は500食用意してきました。2016年4月の熊本地震では、200食の要望を受け被災地に入ったら、1200人も集まってしまいましたが、急きょ一口おにぎりにして、とりあえず温かいものを全員に食べていただいたこともあります。

 

ネットで検索してみれば、子ども食堂は通常100~200食なので、「うちにはノウハウもあり、対応できる」と報告。まだコロナ禍でしたので、実現できるかは分かりませんが、「とにかく動いてみよう」となりました。

 

足立区は、「子どもの貧困課」があり、子ども支援が活発だった

まずは、場所の選定です。東京都のどこか。スタッフの1人に、大田区の出身者がいますが、区役所に勤める友人から、同区に貧困家庭が多いと聞いていました。もう一つは、キックボクシングの選手として有名な阿佐美ザウルスさんからの情報。付き合いのある加藤が直接聞いたところ、阿佐美さんは、足立区出身で、彼自身が母子家庭で育ち、学校のクラスでは似た境遇の子が多かったとのこと。

 

「とりあえず足立をリサーチせよ」という加藤からの指示が、私のところに来まして。といっても、子ども食堂の開き方なんて、まったく分かりません。最初に思いつく行動は、足立区役所に連絡することです。それで電話すれば、「担当の課に回します」と、「子どもの貧困課(※子どもの貧困対策担当課)」に案内されて、まず驚きました。「そんな課が、存在するんだ…」と。大田区には、ありませんでしたから。しかも「足立区で子ども食堂をやる予定なんです」と伝えると、すごく親切で、さまざまに便宜を図ってくださる。こちらがNPOということで、「足立区NPO支援活動センター」も紹介いただきました。

 

私にとっては、まずは「現場」が大事なので、早速、足立区の「東綾瀬子ども食堂」にうかがいました。代表の方に、足立が発行している『子ども食堂MAP』のことも教えてもらい、「マップがあるんだ…」と、またびっくりして。「どの辺でやるんですか?」と聞かれましたが、当時は土地勘もなし。しかし、足立区は、活動するにはやりやすいところだと実感。次のミーティングでは、「足立区、一押しでいきましょう」となりました。

 

ボクシング体験ができる、「楽しい場所」づくりを

実際に運営している人の声が大事だと思い、神戸で子ども食堂をやってる友人の元を訪れました。「利用してもらうには、チラシ、ビラ配りも大事だけど、一番は子どもの口コミ」と聞いて、なるほどなと。

 

子どもたち同士のネットワーク内では、「たぶんこの子は、週末はごはん1回しか食べてない」と直観的に分かる。しかし子どもは、自分の親に「あの子はご飯食べてない」とは絶対言わない。周りが騒ぐと、その子は学校に行けなくなりますから。親同士だと、「おたく、ご飯食べてますか?」なんて、なおさら聞けない。でも、子ども食堂が、とても楽しい場所だったら、それが子どもの口コミで伝わり、「一緒に行こう」と誘いやすくなる。困っているお母さんの方も、自分の子どもが友たちに誘われたら、「いってらっしゃい」と安心して送り出せる。心配なら、子どもと一緒に食べに行くこともできるわけです。

 

「楽しい場所」といえば、「ピースプロジェクト」らしさにつながります。これまで被災地のイベントでも行ってきたキックボクシング・ボクシング体験ができる子ども食堂にしようとなりました。ちなみに理事長の加藤は、趣味の格闘技が高じて、格闘技界に顔が広い。ありがたいことに、みなさん、私たちの活動に協力してくださいます。

 

場所は、足立区出身の元刺青ボクサー・川嵜タツキさんの紹介で、居酒屋「げってん」に。もつ鍋屋さんで、建物は平屋づくり。厨房も2つあって、大人数のボランティアさんが作業できます。店の横に、駐車駐スペースがあるのが決め手でした。ボクシングができるスペースになりますから。

 

そして、社団法人「足立子ども支援協議会」さんから、野菜を無償で提供いただくことにも。月の上限があっても食数が増えるたびにうまく調整してもらい、とても助かっています。

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