ウクライナ避難民が、日本で思うこと

外国人

ルポvol.37 【外国人5】

線の上に、身一つで立つ。後ろは、今まで過ごしてきた、かけがえのない世界がある。そこはまさに破壊され、心は悲しみで一杯。目の前には、未知の世界が茫洋と広がっている。不安に押しつぶされそうになり、足がすくむ。

 

ウクライナ人のエリザさんより、戦禍に襲われる母国から成田空港に着いたときの話をうかがった後、その「立場」を改めて想像すれば、冒頭のような心持ちになるのではと。すると、天災、事故、病気(今後、戦争もありうる)など、人生におけるあらゆる理不尽の遭遇に重なって見えてくる。自分を含む誰でも陥りうる立場なのだ。

 

そんな窮地にある人を、支えようとする人がいる。これも、この世のことだ。1人の異国の女性が、身元保証人のノリ(別当紀人)さんと出会えたことに、勇気づけられる。

 

NPOピースプロジェクトが、エリザさんとノリさんを紹介

足立区西新井で展開している子ども食堂の「ピース食堂」を取材した際、「ウクライナ支援セミナー」が開催予定なのを知る。主催者・NPO法人「ピースプロジェクト」代表の加藤勉さんの親戚筋であるノリさんが、たまたまウクライナ人を実家に受け入れていることが分かり、企画に至ったという。10月17日のオンラインセミナーで、ウクライナ避難民の現状を、彼の通訳で話したのがエリザさんだった。受講してみて、もっと細かく聞いてみたいと思い、同会事務局長の矢沢りえさん(次回ルポvol.38にてインタビュー)に相談。お2人につないでもらうと、ちょうど『ウクライナ避難民運営食堂 Nadia(希望)』を立ち上げられたところだった。

 

『ウクライナ避難民運営食堂Nadia』設立時に、インタビュー

同食堂は、日本に来ているウクライナ避難民の窮状を、サポートしたいという意図で、2022年10月に設立。9月にクラウドファンディングを開催し、158,000円の資金を集めての船出となった。実は、避難民のほとんどは女性で、多くが言葉の壁で仕事につけずに無職とのこと。子育て中のお母さんもおられる。当然、生活は苦しい。そこで当食堂は、「職場」を自らつくって生活費の一部を賄うことを目的に立ち上げられた。自分たちの切迫した問題を日本社会に伝えたいという思いもある。メンバーは旗振り役のノリさん、ウクライナ人はエリザさんともう1人、そして日本人のメグさんの4人。メグさんは、調理以外でも、広報やエリザさんの精神的な問題も解決できるようサポートしている。メインのメニューは、ウクライナの郷土料理ボルシチ。

 

首都キーウの郊外マンションに住むウクライナ人一家の事例

生まれ育ちも東京のノリさんは、かつて100カ国を旅したバックパッカー。キーウに滞在した際、日本に興味のあるエリザさんと知り合った。ウクライナが侵攻を受けて以来、日本への避難のために奔走し、今は生活を親身に支援。

 

一方、エリザさんは、生まれも育ちもキーウのウクライナ人だ。大学卒業後、英語教師とガイド業を務め、2年前からはシステムエンジニアで生計を立てていた。同国ではロシアに親戚がいる人も多いが、エリザさん一家はウクライナのみ。父親は自営業者ですでに他界。母親は、キーウで幼稚園を運営する園長で、今も母国に残る。行政関係者など、避難できない人たちの子どもを預かっているという。祖母は、生粋のウクライナ人で、他国への避難は考慮にないそうだ

 

(今後、ピースプロジェクトは、エリザさんの母親の証言を聞くオンラインセミナーも予定。エリザさんのこのインタビュー記事が、日本側からの、キーウの子ども支援がつながるきっかけになるかもしれない)。

首都キーウが、初めてミサイル攻撃や空爆にさらされたのは、2022年2月24日。その日、エリザさん、母、祖母の3人が暮らしていた郊外のマンションにも、「戦争」がやった来た…。

 

 

※イラストには、ウクライナの国民画家、マリーア・プリマチェンコ(Maria Primachenko)の画のイメージを散りばめています。

 

(エリザさんのインタビューは、ノリさんの通訳を介し、英語で行われた。2022年10月25日、西東京市にて)

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