「自分」受け入れ、人の哀しみ抱く

ヤングケアラー
家族の「カプセル」開く、第三者の重要性

昨日も、精神障がいを持つの方のご自宅を訪問しました。ご本人に会うと、「こういうお部屋、素敵ねぇ」「ごはん、何食べてる?」など、何気ない言葉をかけることから始まり、今困っていることや、家族の様子をうかがいました。家にいるその方のお母さんやおばあさんとも話しますし、父さんが帰ってきて「こんにちは」と顔を合わすことにもなる。本人と家族が話をする様子も見ます。「この人、家族の前だと、こんな顔するんだぁ」と気づいたり、「この子は、紅茶が好きでね」なんて教えられて、思わぬ人なりが知れたり。ヤングケアラーの子たちの対応も同じです。

 

改めて私自身の家族を振り返ってみると、「自分の家族の世界」しかありませんでした。相談支援専門員として家庭に入り、実感するのは、第三者の存在が大切なこと。家族同士だと、直に衝突してしまいますよね。例えば母親が「宿題しなさい!」と叱れば、子も「いいよ! 分かってるよ!」と反発する。そこで私が、「宿題ねぇ。嫌だけど、やった方がいいよ」と間に入って言えば、子も「そうかな」と教科書を広げます。第三者が入ることで、距離が生まれる。なんでしょう、家族という「カプセル」が開く、と言ったらいいのか。

 

自分が子どものときに、家族のことや悩みを、周囲の大人もっと言っても良かったんだなぁと、改めて気づきます。当時は、大人は味方になってくれないという思いが強かった。でも、気持ちを受け止め、サポートしてくれる人は存在します。「ヤングケアラー」という存在がだんだん世の中で認知され始めましたが、それにつれて、手を伸ばしてくれる子が出てきたらいいなと。私たちサポートする側が、彼らの手を取り、家族へのケアの重圧を少しでも軽くできるでしょうから。

 

 

自分が対応できない家族は、チームワークでサポート

長年の課題は、第三者が入ると、さらにギューッと「カプセル」を閉じてしまう家族をどうするか。話をうかがうと、決まって傷つき体験がある。かつて支援者に悩みを相談すると、「いや、それは家族の中で解決してください」と突き放され、「だったら、もう結構です」となってしまって。

 

私自身、対応しきれず、「すいません、どうしたらいいですか?」と、周囲のスタッフに相談することはよくあります。これまで行政、医療、障がい福祉、教育の現場で仕事をしてきたときから、ずっと精神障がいの方の対応を専門にしてきましたので、身体や知的な障がい、さらに他の病気などについては詳しくありません。生半可な知識で対応して、不利益が生じてはいけないので、それぞれの専門家の方に力をお借りします。

 

ウマが合う合わないもあります。サポートしようとする人から受け入れられないと、やはりへこみ、傷つきます。でも、それはそれでいい。「自分でなきゃいけない」という、驕りがいけないんです。「別の人だったらお話しやすいのでは」と気持ちを切り替え、作戦を立て直さないと。

 

意外な人が、大きな力になることもあります。ご本人のお父さんの友だちで、朝のラジオ体操で一緒になる人が、その家庭に入ることでうまくいった事例もあります。サポートする側も、閉じてはいけない。

 

かかわり方といえば、基本的には定期的にご自宅を訪問する、また、お電話したり、メールをさせてもらったり。「どうしても、今、誰とも話したくない」とか、返事が返ってこないこともあります。そのときは、立ち寄って「ヤクルト、置いとくよね」と、玄関前で声をかける。手紙を置いたりもします。「1人じゃないよ~」「待ってるよ~」なんて書きまして。

 

子どもを𠮟りつけてしまう不安と、新しい家族の支え

今年4歳になる娘がいます。なんだろうなぁ…このことも紆余曲折ありまして。不妊治療して、やっとできた子なんですね。そもそも自分が子どもを持ってもいいか、分かりませんでした。産むことで、昔の記憶がフラッシュバックしてしまう不安があったんです。産婦人科の先生にも、自分の育った環境を説明し、ずいぶん相談にも乗っていただいて。

 

産んでみて、やっぱり思い返すこともすごくある。娘に対して怒ってしまう。散らかしたり、いたずらしたときに、「そういうことをしたら、ダメだよ!」って、つい大きな声に。私の言葉が娘を傷つけているのではと、ハッとしてしまう。そのたびに、「きつかったかなぁ?」と夫に尋ねます。「きついね~」って言われるときは、娘にすぐ「ごめんね。ママは、こういう気持ちだったから、こう言っちゃったんだよ」と謝ります。言葉が分からない赤ちゃんの頃から、そう伝えていて。

 

今、実家とは遠く離れて暮らしています。自分の人生を歩むには、距離が必要なんです。夫も精神保健福祉士で、義母も福祉関係の仕事についており、義父は自由奔放で気さくな人。新しい家族は私のことをよく理解してくれ、大きな支えになっています。仕事でドーンと落ち込んだときは、長めにお昼寝をさせてもらったり、カラオケに行ったり。本当に感謝しています。

 

ヤングケアラーを「黒子」として手助け

きっと、つらい過去を断ち切る途中なんでしょう。こんな風に自分の子ども時代のことを話せるようになったのは、これまで出会った温かな友人たちや、精神保健福祉士、相談支援専門員の現場でのご縁、そして、志を同じくする仲間と出会えたからだと思います。ラインやフェイスブックでもやり取りして、「しんどいよ~」とか、何でも言い合えることがありがたくて。

また、ヤングケアラーを「応援」するスタンスで、子どもたちを支えていきたいですね。彼らが、自らの手で自分の人生を生きてほしいと思っています。

サポートする側は、「黒子」です。上の立場でものを言ってはいけない。福祉や教育は、サポートがいらなくなったとき、サービスは終了に。その後、サポートされた側は、思い出したときに「そういえばこんな人がいたな」というぐらいがいい。でも、再び困難に直面し、頼りたくなったときは、「遠慮せず、いつでも連絡してね」と言える相談者でありたいなと。

 

傷つけられる「自己」を守り、育むには

いつも大変な家庭にかかわります。「ボクなんか、もうダメなんだよね」と、本当に、4歳5歳の子どもが言うんです。ADHDで、落ち着かなくて椅子に座れない。「なんで座れないの!」と親御さんが怒る。今の私なら、「いろんな子がいていいじゃない」と思い、その子を応援します。また、そう言いたくなる親御さんの気持ちも受けとめられる。

 

「自己肯定感って何か?」、ですか…私、運動が苦手なんです。鉄棒の前回りも、逆上がりもできない。そんなダメな私も、「ぜんぶOK」みたいな (笑)。

 

(聞き手・ライター上田隆)

 

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