かつて学校は、おおらかだった

教育

慕われた「生きもの先生」

昔は、少し変わった先生でも、何かしらの役割を持ち、受け入れられていたような気がします。これは私が現役の頃の話です。50歳前でしたか男性職員のA先生は、担任を任すとクラスをまとめられない。朝はぎりぎりに出勤して、夕方4時にはさっと帰る。校長先生が、何を言おうがへっちゃらでね。私たち職員たちは、「ありえない先生だなぁ」と、遠巻きにしているところがありました。

 

でも、A先生を、不思議と問題のある子が慕っていくんです。クラスで仲間外れにされていたり、不登校ぎみの子などが。「A先生、こんな風に言ってくれた」「給食の牛乳もらっちゃった」とか、その子たちが嬉しそうに話すのを、よく耳にしました。学級担任をしていないので、担任より時間があるわけですよ(笑)。

 

A先生は、生きものを育てるという、素晴らしい能力がありました。校長室の枯れかけた胡蝶蘭を立派に再生させることなんか、お手のものでしてね。

 

学校でプールが始まる夏、一度、全部水を抜きますが、A先生、底にいるトンボの幼虫ヤゴをさらって、自前でつくった生きもの小屋で育てるんです。「ほしい」と望めばくれるので、子どもたちは大喜び。秋になりプールが終われば、ボウフラがわくので、金魚を放して食べさせる。その後は、1人、給食で残ったパンをやりに行ってるんですよ。だから半年経つと、本当に大きくなる。「オレが、こんなに大きくしたんだぜ」と言って、各クラスや子どもたちに配ったり。

 

あれも秋だったか。A先生、「今日は、夕方、鉢植えの月下美人が咲きそうだ。花を見ながらウドンを食べませんか」と、朝の職員打ち合わせで発言。それで自ら粉を買ってきて、打って切って待ってる。「ちゃんと足洗って、ビニールかぶせて踏んでつくったから、大丈夫」ってね。子どもたち、そして私たち職員は、美しく咲いた月下美人を、ウドンを食べて眺めたんです。それが美味しいのよ。自家製のおつゆも。校長先生は、「しょうがないなぁ、A先生は」と、笑っていました。

 

子どもたちは、そんな「生きもの先生」のことが、大好きでした。でも本人は、「やっぱり、人間の子は、苦手だ」と(笑)。

 

間もなく彼は、違う学校に異動。3年しないうちに退職したようです。その後、一回だけ運動会を見に来てね。ビール飲みながら、ある先生にこうもらしたそうです。「ここの学校では迷惑かけたけど、楽しかったな。あっちの学校に行ったら、真綿で首絞められるようで。オレ、もうだめだ」って。

 

その後、卒業した子が、「A先生に年賀状を出したら戻ってきてので、住所を教えてください」と学校に来ました。こちらでも分からない。赴任先の学校に問い合わせましたが、やっぱり分からなくて…。

 

かつて学校に、「壁」はなかった

教員になったのは…50年前…いえ、22、3歳の頃だから、もう60年以上も前ですよ! その頃は、このあたりに高いビルなんか建っていなくて、田んぼや畑もありました。地域関係も違うし、人々の心が穏やかというか。夏休前や、2、3月の忙しい時期に、よく差し入れがありましたよ。あるお母さんなんか、「私、漬物が得意なので、いっぱい漬けてきちゃった。みなさんで食べてよ。子育てのことは、ぜんぜんダメなんだれけど」と持ってきてくれるの。子どもの話をしているのに、「漬物」なんて突拍子もない話題が出でも、誰も「ええーっ!」なんて顔する人はいません。おおらかでした。

 

(聞き手・ライター上田隆)

 

 

 

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