「公民館的」な学びで、地域づくり

教育

<インタビュー・橋爪晃平さん>

「地域をつくる」街活性室のスタッフとして足立区に派遣

「街活性室」は、2015年4月、埼玉県鴻巣市で創業した、まだ本当に始まったばかりの小さな会社です。その目的は、公共施設を運営して、「ヒト・モノ・カネ・情報」をつなぎ、地域の課題を解決し、地域を活性化すること。スタッフは100名ほどです。当初、鴻巣市内の市民活動センターやコミュニティセンターなどを運営していました。その後、埼玉県内の桶川市や白岡市に活動エリアを広げ、今年4月から東京都に進出。僕自身は、足立区のある公共施設に副所長として派遣されました。

 

会社としては、自治体が施設の指定管理者や運営者を募集した際、プロポーザル(企画・提案)、つまり事業計画書を提出し、採用されれば運営することになります。スタッフは、各施設を運営する中で、さまざまな企画を自治体に立案し、それが通れば地区内で開催、展開していきます。

 

この会社は、本社機能がありません。本社の所在地は代表・斎藤徹の住まいです。事務所運営に費用をかけるなら、その分、まずスタッフに還元しようというわけです。また、ユニークなのは、スタッフに3分の1還元、地域に3分の1還元していること(ちなみに内部留保は3分の1です)。

 

施設運営している会社は、「行政に言われるままのことをやってればいい」と、単なる下請けになりがちです。ただ安く事業を受け、質を問わない運営をしてしまう。街活性室では、「地域をつくる」という理念を掲げ、地域の人材や資源を活かします。そして、民間でありながら行政へも積極的にかかわります。

 

この会社を知ったのは、高崎経済大学で「社会教育」について研究していたとき。「面白い会社だなぁ」と惹かれて、入社した経緯があります。

 

2022年度から、高校の教科書に「国を愛する」道徳教育が導入

「社会教育」についてお話する前に、まず学校教育の現場から、今の教育がどうなっているか。実は、3月まで、高校の非常勤講師を務め、公民、地理、歴史を担当していました。そのとき、来年2022年度から、30年続いてきた学習指導要綱が改定され、自分が教えていた『現代社会』が『公共』という科目に変わることを知ります。

 

『現代社会』は、社会の仕組みを客観的に学ぶ科目。生徒の価値観や生き方の選択を、あくまで側面から支えるというアプローチをします。新しい『公民』では、「社会の中で、君はどのように行動するのか」とディスカッションすることに。座学だけでなく、考える教育をすることは良いことだという印象を受けがちですが、僕は少し違和感を覚えてしまう。一番の柱が「道徳教育」だからです。今まで、小中学校では教えていましたが、それを高校に入れたいというわけです。

 

具体的には、「自分の国を愛すること」を目的に科目が設定されている。教育基本法改定で「愛国心」が盛り込まれたのは第一次安倍内閣ですが、その流れに沿うことです。「愛国」自体は悪いことではありません。ただ、生徒の生き方にかかわる価値観を、学校側が導き、評価することはいかがなものかなと。

 

『現代社会』では、最初の入口で、日本国憲法の三大原則である「基本的人権の尊重」「平和主義」「国民主権」を学びます。しかし、『公共』では、「基本的人権」「平和主義」が省かれてしまいました。では、なぜこのような状況になっているのか。

 

日本の教育の目的は、「国家のために役立つ国民を育てる」

「教育投資論」という考え方があります。僕が大学で学んでいたとき、地域政策学部の櫻井常矢教授から「この国に、子どものための教育は存在しない。その教育は、国家・経済のための投資である」と教えられ、衝撃を受けました。「教育投資論」は、1960年代70年代、日本の高度経済成長を支えます。戦後復興する上で、教育を統制して、国家・経済を担う国民を育てようというわけです。

 

近年、シティズンシップ・エデュケーション(市民教育)が、学校教育に取り入れらています。発祥国のイギリスでは、社会参加のためのスキルを学ぶもの。合意形成、多様性の尊重、相手への説得など、個々人の市民性を啓発し育てるものです。しかし、日本では、スキルの方が目的化されている。シティズンシップ・エデュケーションも、言い出したのは経産省です。教育をつかさどっている文科省ではない。アクティブ・ラーニング、ボランティア教育も同じです。特にボランティア教育については、政治家の森喜朗が、当時日本を揺るがせた児童による殺人事件を挙げ、「子どもは、慈善行為をさせて矯正する教育が必要」と提言したことから、小学校に導入された経緯があると聞きます。

 

僕が教師として怖いなと思ったのは、無批判なまま自分が先端に立ち、国の方針を元に生徒たちに教えるということです。意識しているならまだしも、無意識にやってしまう恐怖もある。

 

社会学の用語の「当為」という言葉は、「設定した目的を達成する」という意味ですが、日本の教育がまさにそう。国家の目的に向けて子どもを育てている。だから、ドロップアウトした子を切り捨てしまう。それでいいのかな、というのがずっとわだかまりとしてありました。

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