江戸川区に、国際スクールを

外国人

<インタビュー・よぎさん>

インド人の子どもには、地域に遊び場がない

外国ルーツの子どもたちが、困ってることですか?…。2つありますね。

 

一つは、子どもたちのコミュニティが、地域にないこと。

インド人コミュニティに限定すると、子どもたちの多くは、インド人向けのインターナショナルスクールに通っています。同じ学年、同じ組で、同じ地域に住んでいる子たちは、意外と少ない。学校から帰ると、一緒に遊ぶ友だちもなく、寂しい思いをする。親ができるのは、せいぜい誕生日会を開くぐらい。

 

学校自体が狭く、校庭もないので、十分に体を動かせない。そもそも、近所に、子どもたちが気軽に遊べる場所がないんです。私が子ども時代を過ごしたインドでは、家の前の道路で、暗くなるまで、サッカーやクリケットに興じたもの。

 

区議時代のことですが、西葛西駅の近くにある清新町の小さな公園で、子どもたちがクリケットをやると、地元住民からクレームの電話がかかってきました。

「よぎさん、あなたは議員でしょ。クリケットをやめさせてほしい!」と。

その子の親に会ってヒヤリングしたら、「だったら、うちの子は、どこで遊べばいいの?」と困惑される。近くの小学校に、「運動場を使わせてほしい」と依頼しても、常に区民の予約でいっぱい。サッカーと野球の要望が多く、ほかのスポーツに場所を分けてくれない。これは、大きな問題ですよ。「せめて公園にフェンスをつけても、外国人の子どもが遊べるようにしてほしい」と、議員の頃から要望しています。

 

学校での日本語の授業は、週1コマ40分

もう一つは、子どもたちに、日本語を学ぶ機会が少ないこと。

インターナショナルスクールでは、日本語の授業は、せいぜい1週間に一コマ40分ほどです。結果的に、何年日本に住んでも日本語が上達しない。そのせいで、思うような生活ができないし、日本人の子どもとコミュニケーションが取れない。

 

議員になったときから、学校で日本語の補助授業を行うよう江戸川区に訴え続け、やっと今年4月から、区立清新ふたば小学校で始まりました。学校で学ぶ子どもたち限定で、毎日、放課後に授業が受けられるように。私は、子どもたちの保護者も、同学校に通わない地域の子ども参加していいと思っています。江戸川区のインド人はIT系のエンジニアが多く、高い住民税を支払っていますから。その分を、語学教育などで多少返してもいいのかなと。

 

中学教師が息子をいじめるも、教育委員会は動かず

インターナショナルスクールで学んだ子どもたちは、卒業後、たいてい海外に留学しています。私も2000年前後に来たIT世代で、やっと息子も大きくなり、今、イギリスの大学に。ちょっと別の事情があるんです。

 

息子は、公立の学校に通っていたんですが、中学校のとき、部活の女性教師から、ひどいいじめを受けました。2015年のことです。卓球部に所属していましたが、日本語が上手く話せないという理由で、卓球をさせてもらえない。「おまえ、ダメー!」と何度も大声怒鳴る。そんないじめがきっかけで、彼は日本の中学校を見限ります。イギリスの学校連盟の奨学金試験を受けて合格し、学費免除で、イギリスに行ってしまった。高校卒業後は、そのまま大学もあちらです。

 

実は、私、息子のことから、いろいろ闘い始めたんです。いじめを知ってすぐに校長や教育委員会に相談に行ったのですが、全然動いてくれない。調査もしない。それで何度も教育委員会に出向き、「先生が謝罪しなければ、許さない! しなければ、裁判で訴えます!」と迫りました。最終的には学校に調査をさせて、先生は謝罪。その時点で息子は、イギリス行きも決まり、「裁判は、やらなくてもいいんじゃないの…」と言うので、訴えないことにしました。

 

でも、私は、非常にこうだったんです!(頭上に人差し指を2本立てて「鬼」の顔)。

1人の保護者として、一生懸命に小中学校のPTA活動をやってきました。息子が中学1年生のときは学年長、2年生のときは副会長になり、責任持っていろいろ貢献したのに。あの先生は、本当にひどいと…。

 

日本の学校教育に感じ始める不安感

同時期に、公立学校の教育内容に、不安も感じました。学校では、子どもに考えさせる教育を何もしていないのではないかと。

 

あるとき、息子に、中学校での授業の様子を聞いて驚きました。先生は教科ごとに、各5、6人のグループに何組か別けて、試験に出そうな質問のリストをつくらせ、さらにクラス内で交換して勉強させる。先生は、そのリストの中から試験を作成するという。私にとっては、なんでそれが教育になるのか、不思議でならないわけです。

中学校の段階で必要なのは、子どもたちに課題を与えて、みんなが意見を出し合い、いろんな角度から考えていくことですよ。

 

また、教科書の中身は半分も勉強せずに学年を終えて、そのまま次の学年の勉強に移ってしまう。当然、学校では勉強が足らず、塾に通うことになる。本来、学業は学校で完結できるはずで、塾には反対なんです。私自身も通ったことがない。一応息子には、公文式教室だけは行かせました。数学と英語の基盤はしっかりできて、イギリスの学校の試験でも点数が良かった。とにかく、日本の教育に関して、「これはまずいなぁ… 」という思いが募ってきたんです。

 

雑務ばかりで、子どもに向き合わないPTA

4年間務めてみて、PTAの役割についても、疑問を抱くようになりました。

そもそもPTAの保護者は、学校の教育内容や運用にあまりかかわりません。主にやっていることは、行事の雑務です。例えば、卒業式では、卒業証書やリボンをつくるなど、式で必要なものを準備する。一方で、親からの虐待、万引き行為や成績不振など、子どもが抱える問題について、具体的な話は一切しない!

 

区議になってからは、教育委員会の場で、「PTAは、もっと子どもの問題にかかわるべき」と発議しました。教育部の職員は「PTAは、教育委員会の管轄ではなく、教育委員会では何もできません」と答えます。「では、PTAの改革は、誰ができるのですか?」と、質問します。「PTAは、保護者が任意でやっていることなので…」と、あいまいな答弁。「でも、あなたたちは、予算をつけているでしょ?」と問い詰めると、「いや、予算はつけていますが、PTAの慣習があり、誰の管轄というのは、ないんですよ」と。ようするに、責任の所在が不明なんです。私は、日本の典型的な問題だと思いました。

 

PTAは、毎年、参加する保護者の顔ぶれが変わります。経験者は、次の人にやることを伝え、その人もあまり考えずに同じことを忠実にやる。そこからぶれたら、もう村八分にされてしまう。また、PTAに参加する保護者は少なく、辞めてほしくないこともあり、「まあ、できることをやりましょう」と新しいことはしない。意義を感じられない保護者は、自然と足が遠のく。参加する保護者も、実は義務感でかかわるだけ。「参加しないと、自分の子の評価が下がって、高校の推薦入学に不利になるかも」との心配から、頑張って何度も顔を出す。

 

多忙な先生たちをサポートするわけで、決して仕事の全部が無駄なわけではありません。でも、子どもたちの教育に、PTAの活動が何の役に立っているのか、正直見えなくなっている。

 

海外の保護者会は、オープンに問題を話し合う

海外では、PTAにあたる保護者会は、とっても活発な場なんです。

息子が通うイギリスの高校の保護者会では、学校側と保護者が、与野党みたいに対峙して座る。オンライン会議なので、日本から私も参加したのですが、保護者はみんな聞きたい放題ですよ。例えば、担任の先生が変わっただけで、「何か問題があったのか?」という質問が飛びます。あらゆることが公開の場で話される。

 

反対に日本のPTAの場合は、問題には触れず、丸く丸く収めてくいく感じです。

私の息子にいじめ問題が起きたとき、PTA副会長である私が、会長に対応を求めてもて、「これは難しい話ですね…」と言うだけ。対応してくれない。近年、メディアでは、学校のいじめの事件を大きく報道することがありますが、表に出てくるのは、100件のうち1、2件かもしれません。教育委員会にしても、問題を外に漏らさないようにする学校側の「守り神」のようにすら思えてしまいます。

 

日本の教育、学校の在り方を根本的に変えたい! そう決意して、政治の世界に飛び込んだところもあるわけです。

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