江戸川区に、国際スクールを

外国人
保育園・幼稚園の枠に入れないインド人家庭

区議としては、外国ルーツの子が、保育園・幼稚園を利用できるにすることも、自身のテーマでした。特にインド人の子どもは、基本的に認可・無認可の保育園・幼稚園には入れません。収入が多いからです。また、保護者の一方が外で働いていないと、やはり入園できない。

 

私は、議会で、「何のために幼稚園はあるのか?」と質問しました。教育委員会からは、「子どもの育成を助けるために」という趣旨の答え。当時、江戸川区の待機児童は400~500人でしたが、「入園できないことで、子どもたちの育成に影響が出ている、ということですね?」と聞き返します。教育委員会は、「いや、幼稚園は義務教育ではないので、結果的にそうなっても、区には責任がない」と言うわけです。しかし、どの子も同じように育成される権利があるとするなら、幼稚園はすべての子どもに必要なはず。また、子どもが同世代の他の子と遊べば、お互いの成長を促す「化学反応」を起こします。そこに、外国(特にインド)ルーツの子たちが入れる場がまったくない。認可・無認可に制約があるのであれば、類似施設をどう増やしていくかを、みんなで考えていくべきです。

 

今、インドコミュニティでは、リーダーシップのあるお母さんたちが、自分たちの手で類似施設を始めています。ただ、すべての子どもには対応できていません。大手企業による類似施設が出始めて増えそうですが、コストが高くなる可能性があり、心配しています。

 

インド人と日本人が交流できない背景

そもそもインド人の子どもは日本人の子どもと、遊ぶ機会がありません。原因の一つは、保護者の一方の多くが、日本語を話せないことにあります。働く本人が日本に来るときは、基本的にある程度日本語を学んできます。しかし、家庭に入る配偶者は、たいがいそうではない。だから、同じ地域の公園で、日本の配偶者とインド人の配偶者が居合わせても、会話が生まれません。そして子ども同士もまったく交わらない。本当にもったいないことです。

 

江戸川区に暮らす外国人の歴史は、だんだん長くなっています。今では、インド人は、中国人に続く2番目に多い外国籍に。一方で、江戸川区は、日本人と外国人が交流する機会をつくり出せていません。区には、「多文化共生」を担う部署があるにもかかわらず。

 

そこで私は、2007年から2010年、年に一度、インドのお祭りであるディワリー祭の開催にかかわりました。必ずしも思うようなものになっていません。一日で1500人は訪れますが、1000人以上はインド人で、他所から来る日本人が200~300人。地域の日本人は50~100人にすぎない。地元からすれば、大きなボリュームで音楽を鳴らして、「うるさくしている」という感覚かもしれません。それでは祭として、あまり意味がありません… 。

 

お役所仕事から見えた、日本社会の悪い癖2つ

区議を務めた2年間、さまざまなことを議会に提案してきましたが、具体的な事業につながっていかない…。

 

基本的に、日本の役所は、ケースバイケースが好きなんです。日本の政府もそう。法務省や外務省なども同じです。何千人、何万人がサインした陳情書よりも、誰か一人が「こうした問題があります」と訴えて、すぐに解決できることであれば、具体的に動いてくれる。一般に役に立つ「マス(mass)」的な問題は、話が大きすぎるということで、手を出そうとしない。「多文化共生」などは、まさに掛け声だけ。江戸川区でも、外国人コミュニティが何を必要としているか、当の外国人にヒヤリングすらできていない。

 

今の日本社会には、2つの悪い癖があります。

 

一つは、本当の当事者に意見を聞きに行かない。私企業である、大手銀行で働いているときにも、同じ経験をしました。IT部門が部門内だけの考えでアプリをつくり、結果的には現場で使えない。 日本のトヨタやホンダが、あれだけ成功したのは、ユーザーが何を求めているかを丹念にリサーチし、ものづくりしてきたからでしょう。

 

もう一つは、当事者を勝手に代表している人たちの意見を聞いて、いろんなことを進める。

特に近年では、いろんな市区町村が「多文化共生委員会」を設置していますが、そこに外国人が入っていない! 何々大学の教授、どこどこ協会の会長ばかり。「当時者」を入れたとしても、「正しい当事者」ではないわけです。また、「多文化共生」じゃなくてもいいですよ。せめて「多様性」ぐらいの感覚はほしい。

 

議員時代、区長に、「江戸川区で、外国人代表会をつくってください」と提言しました。さまざまな国籍を持つ10~15人の代表が集まり、外国人の目線から、共生社会を進めるための意見を出し合えます。しかし、区長は、「外国人が住んでいる町会から意見を聞いているので、その必要はない」と答えました。町会に外国人が参加していなのにかかわらず。また、町会では、幅広く区民や外国人からの意見を吸い上げる行動は起こしていないと思います。

 

提案の中身でなく、派閥の論理で粛々と進む区議会

外国人だけでなく、区民全体からみても、区議会が本当に機能しているかも疑問です。例えば、予算委員会や決算委員会の大切な場で、100時間ぐらい審議しても、予算の1行1桁も一変わらない。そのまま通過していきます。「何のために審議しているのか?」と問うと、ある議員さんは、「次のための参考になる」と言う。じゃあ、「今」はどうなるんだと。

 

区議会は、区民が求めていることを一枚岩になり、法案化に集中すべきですが、そうならないときがあります。政党の会派があるからです。少数政党の議員が良い提案を出しても、大政党の議員は、自分たちの政党でないという理由だけで応じないときがあります。ちなみに本来区議会には「与野党」は存在せず、1人1人が独立した議員として、自分の意見を持ち、判断すべきです。

 

江戸川区では、国に要望する機会があっても、全会一致で意見をまとめられず、ここ2~3年は1件も要望が出せていません。区民にとって真に役立つことを提案し実行すれば、もっと面白い仕事ができるのに。

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