介護職に、外国人を

外国人

ルポvol.18  【外国人3】

 

「ありがとうございます…」。

産科医師が言った「お大事に」に対する若いベトナム人女性の片言の礼が、空しく響く。

お腹に、新たな命が息づいていることは、検査で判明。しかし、彼女は、東京のブラック企業から夜逃げし、今、北国の漁港にある会社に、住み込みで不法就労している。妊娠が発覚すると、解雇されて路頭に迷うだろう。日本語が分からないので、外の世界に「助けて」と訴えられない。真冬の夜、倉庫内のベットに腰掛け、彼女は中絶の薬を飲む…技能実習生の実話を元にしたドキュメンタリー映画(『海辺の彼女たち』藤元明緒監督)の一コマである。

 

障害児の子育て、介護事業の半世紀を聞く

言葉がままならない異国で、生きるということはどういうことか。常々、外国ルーツの人に、「子育て」のテーマをからめて聞いてみたいと思っていた。足立区は都内で3番目に、在日外国人が多いからだ。アンテナを張っていると、少し違う角度から取材したい人が現れた。雇う側の事業者で、足立区内で8つの介護福祉施設を運営している「ケアサービスとも」会長の海老根清剛さんである。

介護職に地元の外国ルーツの人たちを積極的に採用しつつ、ベトナム人留学生を受け入れる体制づくりを模索されている。課題もさまざま自覚され、冒頭の映画も紹介してくださった。

 

出発点に、重度の障がいを持つわが子の存在があった。どう生計を立てて子育てしていくか、10年単位の人生プランを描いて実行。そのお子さんが成人し、施策のサポートもあって手が離れるころ、海老根さんは夫婦で介護事業を起こし、16年越しで今の形まで発展させた。

 

成長を支える子育てと、死に向かう人を支える介護事業がつながっていた。今回、その歩みをたどった上で、外国ルーツの職員の採用、また彼らの子育てに、どう向き合うか話されたことを書き連ねてみた。やはり、ここもつながっている。人の「生」を大切にする、ということにおいて。

 

フィリピン人職員から見た介護、そして日本とは

海老根さんの後は、介護職員として働くフィリピン人の飯塚ジョシィさんのインタビューを採録。言葉の壁、また目下の仕事の課題を次々と語られた。明るく朗らかな人である。介護の世界に「楽しさ」を取り入れたいという発想が新鮮に感じられた。本テーマの「子育て」は、「あまり苦労しなかった」とのこと。その理由に、異国の風土を感じた。

 

外国ルーツの人を、社会が受け入れるのは大変である。しかし、その体制をつくることは、いろんな実りをもたらすのでは、と予感した取材だった。

 

(海老根清剛さんへのインタビューは、2021年6月2日、「ケアサービスとも」にて、飯塚ジョシィさんへは、7月5日に、足立区内の喫茶店にて行いました)

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