「学校」を、変えませんか?

学校
議会に、学校への陳情書を提出

今、議会傍聴しているんです。学校のことを決める文教委員会に行きましたが、もうひどい!  議員さんに、学校の元関係者などの当事者が1人もいない。机上の空論なんです。学校が今抱えている問題(教員の負担軽減など)、真っ先に取り組むべきテーマが全然上がってこない。それでとにかく課題を「まな板」に上げなきゃと、一区民として陳情書を出すようになりました。

一番最初のものは、コロナ期に実施された給食時の黙食ルールを、元に戻してほしいというもの。もうコロナは5類でインフルエンザと同等になりましたし、税金を一銭も使わない提案なので容易かなと。当時、「黙食」の指示は東京都の教育委員会から来ましたが、コロナは未知の感染症だったから仕方なかった。でも実際給食時の様子は、刑務所みたいな感じですよ。「前を向いて、一切しゃべるんじゃない!」と。教員って、休憩時間があってもないようなものだから、静かに食べてくれるのはありがたい。管理しやすいので、コロナが収まっても元に戻らないだろうなと、当時から思ってはいました。

学校の給食は、ただ食べるだけじゃない。大切な「食育」です。食事のマナーを自然と学ぶのはもちろん、いろんなタイプの子たちがそれぞれ顔を合わせて同じ釜の飯を食べる。こうした経験は、小中学校でしか積めないこと。これを3年もなしにしていると、子どもにとって「黙食」が当たり前になってしまう!

審議のときに、行政側に元中学校の先生がおられ、現在の黙食ルールを肯定される。それで議員さんも「素晴らしい取り組みですね」と引き下がってしまう。実態を見ていないから、議論が先に進まないんですよ。少なくとも議員さんは、学校の現場に足を運ぶべき。結局、私の陳情書は、よくある「継続審議」となりました。

 

子どもの訴えに耳をふさぐ教員

訳あって、とある小学校に出入りしていたことがあります。ある日、中休みの時間に教師不在の教室を覗いたら、男の子がもう一人の男の子に向かって、水筒で殴りかかろうとする。とっさに止めに入ったら、それを見ていた別の男の子が寄って来たんです。「ぼくね、いじめられての! だからもう帰りたい! 家でも辛くて大変で、もう死にたいんだよー!」と半泣き状態にすがってくるので驚いて。「じゃあ今の話、担任の先生に説明して、帰りたいって言いなよ!」と伝えると、その子は戻ってきた先生に事情を話す。でも先生は何も言わず、席を指さし座らせます。同時に授業開始のチャイムが鳴って、男の子はしょぼんと席に着きました。私は、先生に声をかけるべきか迷いましたが授業の妨害になるので、後ろ髪を引かれながらもそのまま帰ることに。

翌日、同じ教室に行くと、その男の子がいたので声をかけました。「あれから君のことが心配で仕方なかった。困ったら絶対助けるから遊びにおいで」と。すると表情が晴れ、「校庭で遊んでくる」と元気に走り去るので、安心して見送りました。後日、うちの子が協力してくれ、数日間、その子と暗くなるまで駆け回って一緒に過ごしたんです。

もし、助けたいと思ったら、目の前にいる人が動くしかない。他人の子だから、よその家庭だからとか、迷惑かもしれないとか、そんな常識人っぽい言葉は言い訳にすぎないなと。手の届く範囲のことをしていくしかない。

 

一番変わるべきは「保護者」

追い詰められた子たちがどんどん出てきています。2022年の自殺者数のうち、小中高生は514人。学校1校分の子どもたちが自殺しています。「学校」っていう場所が変わらなければ、その子たちを救えません。一番変わらなきゃいけないのは保護者だと思っています。ようは学力向上とか感染症対策など、大人にとって耳障りがいいことしか目が向けられていない。

「学力向上」の掛け声で実際に行われているのは、過度な勉強の強要です。教員は自分の学級の点数が低いと自身の評価に響くと感じ、それを熱心に行う。子どものやる気や、学びへの意欲とはまったく関係ないことです。しかし選挙のとき、「足立区の学力の低さをなんとかしてください」という保護者はたくさんいたんですよ。子どもにとって本当の意味での「学び」や「成長」とは何か、という視点が抜け落ちている。保護者は、もっと真剣に、子どもの声に耳を傾けてほしいです。

 

学校は、教員を「評価」すべきではない

教員の評価制が、私は良くないと思っています。例えば、ある子が不登校になると、「不登校を出した教員」と思われてしまう。教員は不登校児童への対応を熱心にするあまり、朝家に迎えに行ったりする。それってなんなの?と。「先生も困っているから学校に行きましょう」と親に言われれば、その子どもは自分が悪い事しているような気持ちになっちゃう。中には本当に熱心でそうしている教員もいるのかもしれません。しかし「不登校への対応を充分にしてますよ」と周りの教員に示したいだけ場合、やはり子どもが犠牲になっている。

学校は、むしろ教員をもっと信頼して任せてほしい。本来子どもが好きでこの仕事を選んでいる。教員たちは子どもたちと、もっと自由に接し、向き合いたいわけです。スウェーデンの学校では校長は、教える内容を、一人一人の教員の判断に託していると聞きます。自治体も校長の判断に任せる。その結果、とても生き生きとした「学びの場」「居場所」が実現しています。

 

もっと多くの市民が、政治に挑戦してほしい

議員になったと思われていて、「こういう制度を導入してほしい」とよく言われます。票をいただいた人たちの思いを実現するために、今後も動いていきたいなと。落選したから、次の仕事を探すというシフトには移りたくない。それで、活動資金を得るために寄付も行っています。その際、選挙でかかった収支報告を公表しました。これを見れば、選挙に必要な費用が詳細に分かります。これまで政治とかかわったことがない志を持った人たちが、どんどん政治に挑戦してほしいから、そうしました。

足立区だけではなく、全国には私と同じ思いを持ち、政治の場で子どものことをやりたいという人が結構いる。それで「選挙メディア」を仲間と立ち上げる準備をしています。選挙に立候補するためのノウハウを、やさしく解説するYouTube動画や挑戦した人の実体験を発信するものです。いざ、声を上げて立候補したいと思っても、意外とそうした情報が容易に得られないことを痛感したからです。世襲政治家ばかりじゃなく、地盤も看板もカバンもない人たちが挑戦していけば、政治風土がもっと多様化していくはず。議会では女性ですらマイノリティなんですから! それに、声を上げたい人が叩かれない社会にしていきたい。

つくづく思うのですが、社会はすぐに変えられないんだって。私が選挙で体験したように、同じ志の人を増やして、じわじわやるしかない。明石市の泉房穂・前市長は、画期的な子育て施策を粘り強く打ち出して、少しずつ成果を上げました。それが徐々に波紋となって、他の自治体に影響を与えています。政治は、ゆっくり動く。その遅さに、半分「絶望」で、半分「希望」だなって(笑)。

(聞き手・ライター上田隆)

 

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