「学校」を、変えませんか?

学校
移住を断念し、区議選出馬を決断

2022年2月、出産を前に退職。3月には第2子が生まれます。4月には、上の子が足立区の小学校に上がることに。詰め込み学習推しの足立区の小学校に我が子を入れるのは、とても嫌でした。

本音を言うと、当時、移住をしようと思ってました。淡路島で自給自足の生活をして、子どもをのびのび自由に育てたかった。だけど、大手企業がテーマパークを建設し始めたため、地価が高騰し、土地や家を買える状況ではなくなります。諦めるしかなく、「えっ、どうすんの?」と。移住できないなら、もう学校自体を外から変えていくしかない。「じゃあ、区議選に出るか!」と決意 (笑)。

まずは、教員の負担を軽減して、子どもたちに向き合えるような体制にしたかった。さらに学力偏重の在り方や、子どもの貧困のことも根本的に見直す必要があると。そもそも足立区の「学力向上」って、「貧困問題」をすり替えてると私は感じるんです。収入と学力って比例するじゃないですか。その生活の底上げをしないと、子どもたちの育つ環境って変わんない。お金を持っている人たちは、私立とか、オルタナティブスクール、フリースクールなどと選べる。しかし、そうでない家庭の子たちは選べない。うちもそうです。だから、足立区が税金を出して、貧困問題を解決しつつ、学校環境を良くして、すべての子どもがのびのび育つ公教育にするべきなんです。そうしたことも提案して、実現したかった。

 

家族の「やめて!」を熱意で説得

2022年12月半ば、夫に初めて「選挙に出たい」と相談すると、「絶対にやめて!」と。「まず 選挙に当選しない。仮に当選したとしても1人では何も変えられない。政治の硬い壁に風穴があくわけない」と説得されました。数日後、もう1回言ったら、同じ答え。3回目、大晦日に繰り返したら、「本当にやりたいの?!」と。「やりたい! こういう気持ちを抱えて、なんにもアクションを起こさないのは嫌だ」と答えると、「じゃあ、応援する」って。

1月1日、元旦に、実家の新年会で両親に「私、選挙に出ます!」と宣言しました。何を言っても私を止められないと、家族は分かってる、というか諦めている。母親も頭を抱えて、「やめて~」みたいな。家族は「100票ぐらいしか取れないだろう」と予想し、私もそう思いました。計算すると、足立区だと3000票は取らないと当選しない。

 

「知名度」を、どう獲得していくか

まずは共感してくれる仲間をつくろうと、1月中、これまで行ったことのない地域のコミュニティや勉強会、ワークショップになどに参加。どんな活動がしたいか、少しずつ伝えていきます。

公職選挙法により、選挙告示後の1週間以外、自分の名前を表に出して宣伝できないことを知り慌てました。そんなの知らないじゃないですか。足立区の選挙管理委員会に、「私、どうやって認知してもらえばいいですか?」と毎日のように電話。選挙のルールは、本当に難しい。そのうち、「みなさん、こういうことをやってますよ」と、選挙期間外に公開できる「2連ポスター」のことを教えてもらい、「これだ!」と。顔が2つ並ぶポスターで、演説会の告知という立て付けにすれば顔と名前を出すことが可能に。1つの顔に候補者自身、もう1つの顔に、通常は政党や政治団体などの著名な応援者を出すわけです。

でも、私、絶対に政党に入りたくなかった。政党の色に染まると、自分が訴えたいテーマについて真っ直ぐ取り組めない気がして。無所属でやりたい。では「看板」となる、認知度の高い人を探さないといけない。そのとき頭に浮かんだのが乙武さんです。教員と教育委員会の経験者で、学校の問題のこともよくご存知。しかも無所属で国政にも出られ、新人候補者の支援もされている。これ以上の人はいないと。

それで乙武さんのSNSやホームページの全ての窓口に、「ぜひ、応援してほしい」と熱いメールを送りました。まず事務局の方とつながります。乙武さんは、多忙で当初はスケジュール調整が難しい中、zoomで面談の機会をくれました。ご本人に思いのたけを話すと、「応援しますよ!」と快諾してくださって。乙武さんとの2連ポスターが実現し、私は2月末から駅頭に立ち始めます。

選挙に出るって、一種の「踏み絵」だなぁと。知人や元同僚や同級生が目の前を通ります。声をかけたりすると、手で顔を隠して去ってしまったり、「恥ずかしいから声をかけないで」と言われたりしたこともあります。4分の1は「頑張って!」という声援を送ってくれますが、4分の3は「あぁ、やっちゃってる…」と避けて行く感じ。

冷たい風が吹いている。「負けないぞ!」と踏ん張りますが、苦しいんですよね。1、2カ月は1人で訴え、孤独でした。でも、だんだん足立区内が選挙ムードになってくると、「一緒にやろう」と言ってくれる子育て世代の人たちが増えてきたんです。

 

街頭で、親子の声を発信

5月初めには、足立区の子育て世代の仲間が加わった政治活動も、あったまってきていた。親子で来てもらい、子どもにマイクを持たせる。「声を上げていい」「自由に主張していいんだ」ということを体験して欲しかったんです。でも、やっぱり「お前ら、そんなことをやらせてもいいのか!」というヤジが飛んでくる。公職選挙法では、選挙期間の1週間、子どもとの活動はNGですが、それ以外の期間にはとくに縛りはない。「今は、自由です。これは『政治活動』で、『選挙活動』じゃありません」とその都度お伝えしていました。

うちの夫もさんざんに言われました。ダンサーなので髪が長く、ラフな格好なので、ご年配の方から「ちゃんとジャケット、スーツを着ろ!」と注意される。こちらの陣営には、正装してる人なんかいない。立候補すると分かると、いきなり酷いことを平気で言ってくる人もいる。応援してくれる仲間には、理不尽なことを言われたら我慢なんてせず、おかしいことはおかしいと伝えて欲しいと。

 

93人のボランティアと乙武氏が応援

統一地方選挙から1カ月遅れて選挙が始まる足立区に、チーム乙武とご本人が応援に駆けつけてくれました。盛り上がりのピークはゴールデンウィークかな。「もしかしたら、こいつは本当にやるかもしれない」みたいに思ってくれる人が、じわじわ増えてくる。

最終的に93人のボランテイアが集まりました。みんなで同じTシャツを着て活動するので、まるで文化祭のような雰囲気。「今の学校はおかしいと思います。変えてください」など、いろんな人たちが話しかけてくれて。これまで政治にかかわりのなかった人たちが声を上げて共感の輪が広がっていく。奇跡が毎日起こっていた。「私、絶対当選する!」って思ったんです。

 

落選するも、「当選した自分」が走っている

投票日当日の夜9時、支援者と第1回目の開票を見に、投票所に行きました。なんと「みやじまえりか」の名前が「0」。後でトップ当選してた人は1,500票もあったのに。「えっ、落選するかもしれない…」と初めて不安になり帰宅。その後、LINE 93人分のグループチャットから、ピロンピロンと速報が鳴るんです。怖すぎて、とても見れない。「もう寝よう」と休みましたが、早朝に起きてしまって。4時頃でしたか、暗がりの中で夫が座りながらスマホを見てる。「絵里香、ダメだった…」と。もう頭が真っ白になって、目の前にあった道がバタバタって崩れ落ちる感じがしました。最初に頭に浮かんだのは、自分の子どもになんて説明するか。選挙に巻き込み楽しくやってきて、「行くぞ!」となってたのに。朝になって子どもを起こして、「ごめん、母ちゃんダメだった」と伝えたら、「いやだ、いやだ!」と泣く。「そうだね、ほんと、ごめん!」って。

でも、これっぼっちも、力不足だったなんて思ってません。毎日奇跡が起こっていたと感じていたからです。「落ちるかも」と投票所で思ったときも、「自分にとって最善の、一番いい道をください」と心の中で祈りました。「落選」がその道だったわけです。今、心の中では、自分の横に「当選した自分」が走ってるんですよ。へこたれてなんていられない。達成したかったビジョンを成し遂げるために、どんどん活動していくぞと。

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