「山谷」を、「依存症者」として支える

貧困

ルポvol.54-1 【貧困】

日雇いの街「山谷」は、今、福祉の街に。高齢者となった労働者のほか、日本中から生きづらい人が頼って来る。その中で奮闘するNPO法人「友愛会」の田中健児さんの講演「台東区山谷『友愛会』の取り組み」を紹介しよう。2月13日、ポルテホール(足立区六月町)で開催された「コネクトリンクフォーラム」の一講演だ。主催者は、一般社団法人「あだち子ども支援ネット」(代表・大山光子)。

 

今回のフォーラムのお題は、「貧困を語る」。「山谷」「ドイツ」「組合活動」「法律」「アート」の5つの視点、5人の講師から話題提供された。様々な分野の支援者や一般からの参加者が受講し、第2部では意見交換もあった。本ブログでは、他の講師4名の講演記録も仕上がり次第、随時公開したい。

第一弾の田中さんは、山谷での生活相談員としての取り組みと同時に、日雇い労働者の「ドヤ街」から高齢者の「福祉の街」へと変遷していく「山谷」の姿を語る。また、ご本人は、横浜依存症回復擁護ネットワーク「Y-ARAN」のリカバリーサポーター(ボランティアスタッフ)で、依存症の当事者でもある。

波乱万丈の経歴と経験から、「山谷のおじさん」へのまなざしが温かく、支援内容はきめ細やか(しかも、マニュアルが成り立たない世界で)。その心情や臨機応変さは、子ども支援にとって大きなヒントに。

 

(2024年2月13日、ポルテホールにて開催されたフォーラムの内容を記録)


「依存症当事者」としての「支援者」

NPO法人「友愛会」で生活相談員を務める田中健児です。山谷地区で生活困窮者の支援などをしています。以前は、東京都内の精神科クリニックで勤務。そこはアディクションに特化した通院治療プログラム「デイナイトケア」を行っていて、薬物やアルコール、 ギャンブルなどの依存症、ほかには性的な逸脱行動(痴漢や盗撮)などの問題と向き合う患者さんが対象でした。僕は、医師でも看護師でもないです。精神保健福祉士や社会福祉士などの資格も持っていません。実は、薬物・アルコール依存症の当事者です。高校生の頃から薬物を使用し、アルコールを飲み始め、約20年間乱用。幸い重症化する前にやめることができ、来月で19年目に。今日は、そういった立場からもお話しできればと思います。

 

労働者の街「山谷」の盛衰

山谷地区は、東京の台東区と荒川区にまたがる地域。日雇い労働者などが多く暮らす簡易旅館の立ち並ぶ「寄せ場」「ドヤ街」と呼ばれています。岡林信康の『山谷ブルース』やマンガ『あしたのジョー』の舞台になった街としても有名ですね。(道に寝転ぶおじさんのスライドを指し)こんな街です。路上生活者が多く、病、貧困、高齢化、独居、孤独、それから「あきらめ」があちこちにある。町名としての「山谷」は、昭和41年に消滅。

山谷の歴史について、ごく簡単に。江戸時代から山谷地区は宿場町でした。近隣には小塚原刑場や、今のソープランド街の元となる吉原遊郭がありまして。街の近くに墨田川や荒川が流れていますから、水害の被害を受けやすい。そんな地域ですから、いわゆる被差別階級や下層階級の方も多く住まわれていたといいます。第二次世界大戦後、GHQが設営した戦争被災者のためのテント村が、やがてドヤ街に発展。高度成長期には、日雇い労働者が集まる寄せ場として賑わいました。「寄せ場」というのは、労働者が、雇用者側と直接交渉して仕事を得るために集まる所です。1960年代から1980年代頃は、日雇い労働者の賃金を搾取することもあったといわれている「手配師」と呼ばれた斡旋業者、警察、そして労働者との三つ巴の暴動が繰り返されていました。有名なのは、1960年代前半に起きた「山谷暴動」です。 バブル経済崩壊後、労働者は減少し、生活保護を受給する高齢者・障害のある方などが山谷地区だけではなく区外からも集まる「福祉の街」 と言われるようになりました。

 

かつての山谷の人口密度は非常に高かった。簡易旅館が建ち並んでいましたから。ピークの1963年には「簡易旅館数222軒・15,000人」にも達します。しかし、2021年の統計では「131軒・2,946人」と半減。ちなみに同年、簡易旅館宿泊者の約80%が60歳以上、その約9割が生活保護受給者です。平均年齢は、67.5 歳(データは、城北労働・福祉センターのWebサイトより)。ある意味、「超高齢化社会」の縮図ともいえます。将来、日本中が山谷のようになるのではないでしょうか。

日雇い労働者は、仕事があれば「ドヤ(簡易旅館)」で暮らせます。なければ「あおかん(青空簡易宿泊所の略)」、ようするに「野宿」する。山谷では、こうした路上生活者、ホームレスの数が多く、その数は流動的なので人口のデータには信ぴょう性に欠けるところがありますが。

 

制度からこぼれ落ちる元日雇い労働者

「友愛会」は、2000年に設立。男性用と女性用の宿泊施設、訪問看護ステーションとヘルパーステーションを運営しています。活動を始めた背景はさまざま。 日雇い労働者は高齢になり、仕事ができなくなると、年金や退職金といった社会保障がありませんので、生活が破綻します。加齢・障害のために、路上生活も困難になります。飲酒や食生活の問題があり、生活習慣病を患っている人も多い。今でも結核などの感染症が非常に多くて、僕も山谷で働き始めてすぐに感染しています。幸い排菌はしていなかったので人にうつす心配はなかったですが。

さらに、不況で日雇いの仕事がなくなり、寄せ場が消滅したという事情も活動を始めた背景のひとつです。今の求人では、携帯電話による職探しが普及して手配師も必要なくなりました。

また、山谷の住民は帰る場所のない独身者が多い。家族がいて、ある程度の見守りや身の回りの世話が可能であれば、足りない部分を介護保険などの福祉サービスを利用して支えることもできます。しかし、友愛会の利用者はほとんど単身ですので、公的なサービスだけだと生活を支えきれないんですね。住民票や戸籍がない人もいて、介護保険を申請できない。障害があっても障害者手帳を持っていない方もいる。

このような事情によって「制度の隙間からこぼれ落ちた人たち」に対応するため、私たちの仕事は、「制度の隙間を埋めていく活動」ともいえます。 制度によらないサービスっていうのは、どこからもお金が入らない。よく私たちは、「貧困ビジネス」と揶揄されますけれど、こっちが貧困ですよ!大変です…。

 

刑余者も生きていける環境

山谷地区では、毎日どこかで、教会や支援団体による炊き出しが行われています。刑務所を出所するときに、「山谷に行きたい」と希望する刑余者が一定数いるそうです。実際、友愛会の利用者の中にも、窃盗・無銭飲食など軽微な犯罪を繰り返して、刑務所と社会を往復している高齢者や障害者が増えています。90歳で前科19犯という方もいました。 山谷の簡易旅館は、入居するときに敷金・礼金・保証金・保証人もいらない。極端な話、偽名でも入れる。 ある意味、刑務所を出た人でも生きていきやすい環境なんですね。刑余者に対する偏見や差別もほかの地域に比べて少ないのかも知れません。

利用者がたどりつく経路には、いくつかのパターンがあります。たとえば単身の方が、路上やドヤで暮らしていて、体調を崩し、救急搬送されて入院となる。しかし治療が済んだところで帰るところがない。または退院後に自立生活が難しくなる…。そうしたケースがあった場合、福祉事務所を通して相談があり、友愛会に入所することになります。

これらの人たちは、最初から天涯孤独であったわけではありません。高度経済成長期に地方から東京に出て来て、日雇い労働で働きながら家族のために仕送りをしたり、お正月には帰省したり。しかし次第に疎遠になって、最後は音信不通になったという話をよく聞きます。その背景にアルコールやギャンブルなどの依存症の問題があることが非常に多い。依存症になりますと、物事の優先順位が、依存対象となる物質や行為中心になってしまうからです。

 

ドヤ生活から看取りまで

「友愛会」の事業内容は、主に「宿泊事業」と「訪問看護・介護事業」。そして「ドヤ生活支援事業」です。「宿泊事業」では、3つの宿泊所があり、男女合計で現在は約30~40名の入居者に対応。「訪問看護・介護事業」としては地域の一般家庭のほか、山谷地区の簡易旅館「ドヤ」にも看護師や介護士が訪問をしています。ドヤは本来、宿泊客以外立ち入りができなかったのですが、友愛会が活動を始めた頃から支援を必要とする高齢の宿泊客が増え、旅館側も困っていたので次第に訪問が可能となっていきました。山谷では、訪問看護師さんは非常に重要な役割を果たしています。

僕が担当しているのは、「ドヤ生活支援事業」。通常そういった制度はなく、「友愛会」独自のサービスですね。どんなことをやっているかというと、見守り/安否確認、食事提供、利用者の同意を得た上での金銭管理、債務整理、服薬管理、健康/生活相談、訪問看護/訪問介護、就労/自立支援、住民登録、介護保険の手続き、銀行口座開設、通院介助/入退院手続き、緊急時対応/救急車同乗、利用者死亡時の葬儀手続き/立ち会い/埋葬/遺骨引取り。そのほか、ゴミ屋敷の清掃、害虫の駆除、徘徊・失踪した利用者が警察に保護された際の対応など。そのほか生活に関わるすべてのことで援助可能なこと。…ようするに「なんでも屋」ですね。ドヤの支配人さんや地域住民の皆さんと連携しながら、実質365日24時間営業の活動になります。病気も貧困も年中無休ですから。必要なのは、切れ目のない支援なんです。

 

遺骨の受け取りを拒否する家族

友愛会の活動は、元々山谷に住んでいる人たちが対象でした。しかし、次第に行き場のない人たちが全国から来るように。年齢も10代から90代まで。障害や疾病の分類、介護度も様々です。対象を限定せず、どんな人でも受け入れるように努力しています。「貧困」が、拡散・広大・多様化していることを実感します。

山谷の住民も変わってきています。労働者だったのが、高齢者になり、障害を持つように。要素が移り変わるのではなく、加算される状態ですね。高齢化がいっそう進んで、看取りまで行うケースも増えています。例えば、末期がんで余命宣告を受けた利用者さんの家族と連絡が取れても、面会を拒否される。そんな家族も多いです。利用者本人が家族に連絡してほしくないという場合もある。葬儀に立ち会うのは、僕や友愛会のスタッフだけであることがほとんどですね。遺骨の受け取りを拒否する家族も多いので、事務所には葬儀が済んだ後、しばらくその遺骨が置いてあることもあります。 社会に捨てられた民「棄民」、あまりいい言い方ではありませんが、山谷には「棄民」が集まります。社会に捨てられたのか、本人が自分から社会を捨てたのか、よく分かりませんが…。

現在、友愛会に来るのは、前提としてこんな人たちです。身寄りがない、お金がない、家がない。具体的には、慢性疾患のある方、認知症の進んだ高齢者、路上生活の経験のある方、身体・精神・知的障害や発達障害のある方、DV被害者。そして、アルコールやギャンブルなどの依存症の方など。出産期を迎え、しかも路上生活をしていた統合失調症の女性が入所してきたこともあります。それから、「保護観察処分」や 「医療観察法」の対象者にあたる方なども。

昔は、こうした心身に障害のある方などの受け皿が、もう少し社会の中にあったと思います。僕が生まれ育った下町では、近所の住民が、そういう人たちを違和感なく受け入れていました。生活が破綻したのは、単なるわがままや自業自得ではありません。その背景にある「依存症」などの「病」や「障害」へのサポートが得られなかったこと、また、それに対する間違った理解が、余計に彼らを追いやっている。

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