タビスルオヤコの「学校」

教育
祖母に育てられ、「結婚しない」と決意した子ども時代

生い立ちですか? どこから話していいか…。母は、私を産んですぐ、病気になってしまって。今でいう「産後鬱」です。精神安定剤をずっと飲んでいました。母は、私の養育を、自分の母、私からいえば祖母に託すことに。父は、当時教員をやっていて多忙でしたし。それで祖父母の家で、祖母と叔母に育てられ、両親は別の家に住むことに。

 

父は、大好きでした。学校勤務が終わって夕方に、祖母の家にいる私の顔を見に来る。いつもニコニコしていて、優しいというイメージ。いまだに尊敬しています。

 

一方で、祖母が、結構強い人でした。なんていうんですか、管理したがる人。だから私は、「管理が大嫌い」になったんだと。幼くて目が離せないこともあったのでしょうが、「あれをやっちゃダメ」「これをやっちゃダメ」と口を出してくる。

 

まぁ、いろいろ鬱屈があって、中学生のときには、「将来、絶対に結婚しない。子どもは産まない」と言ってました。もし私が子どもを持てば、自分が育てられたように接し、子どもを「被害者」にしてしまうのではと不安だったからです。以来、30歳ぐらいまでは、ずっとそう思ってました。結局、結婚して、産みましたけどね。

 

社会に出て広告業界を歩き、一人旅で夫と出会う

高校を卒業後、医療福祉学校に入学しました。「人の役に立つこと」が、自分という「個」を生かせる道じゃないかと、意気込んでいたんです。当時関心があったのは、「福祉」ではなく「心理」の方かな。でも3年学んでみて、「私にはちょっと早い。もっと自分が成長しなくては」と、医療の道には進みませんでした。

 

学校を出ると、地元足立区のタウン誌制作会社に就職。誌面の内容は、地元のお店を紹介するものです。「載せませんか?」とお店に営業をかけ、自ら取材し記事も書く。顧客管理や、人材育成も手がけました。そこを3年勤め後、印刷企画制作会社に3年、広告デザイン会社に4年、計10年ほど転々とします。

 

2011年、まだ広告デザイン会社にいた頃だったか。その年3月に東日本大震災があり、「広告は自粛」という空気になって仕事が激減したんです。そんなある日、夜遅くに帰って外食していると、高校生のアルバイトさんが一生懸命働いている。娯楽が止まったら、なくなるような仕事をしている私より、「この子の方が、よっぽど社会の役に立っているな」と。ちょっとこう、うちひしがれてしまい…。

 

自粛も明けた5月のゴールデンウィークに、一人旅に出たんです。目的は、和歌山にいる「猫の駅長」に会いに。美容院で、頭をセットしてもらいながら本を読んでいたら、この子の記事を見つけまして(笑)。

 

その旅で、今の夫と出会いました。当時彼は、神社に関心があり、熊野古道へ参詣。埼玉の人なんですけど、バイクで一人来ていた。初対面なのに、居酒屋で、テレビの『サザエさん』を見ながら、飲んでまったり7時間しゃべりました。波長があったんでしょうね。だから、東京に帰ってきても会うように。やがて「付き合おう」となると、「ケーキをつくりたい」と旦那が語り出す。すると私も、「じゃあ、いつかカフェやるかもね」みたいな。

 

「自給自足」の夢が固まっていくのは、「こそだて喫茶cotoca」を運営している頃ですかね。食材には気をつけて、信頼できる農家さんから取り寄せる。いろんな勉強もし、農家さんに直接聞いたり。やがて、「もう自分でつくった方がいいな」って思い始めた。

 

「脱ステロイドリバウンド」から、「食」を見直す

「食」に関心を持ったのは、湿疹治療がきっかけですね。薬剤湿布と、強烈な脱ステロイドリバウンドの経験から考えさせられたんです。

 

料理が苦手だった祖母は、子どもの私に、コンビニやファーストフードのものばかり食べさせていました。添加物も多く、栄養も偏るでしょうから、湿疹が出てしまう。その都度、病院の皮膚科に通ってステロイドの薬をもらい、塗ってました。

 

後年、妊娠中に湿疹が出る。お医者さんに相談したら、「出産したら自然に治るよ」と。でも出産後、いつまでたっても治らない。授乳中は、赤ちゃんに影響が出るので、ステロイドなど薬が塗れません。授乳期が終わってすぐ病院に行き、ステロイドをもらって少し塗ると、悪化しそうな予感がする。それでやめると、あっと言う間に反動が出て、口の周りの湿疹が、マスクで隠さないとひどい感じに。知らぬ間にステロイド依存の体質になっていた。だから、少しの「脱ステロイド」で、リバウンドを起こしてしまうことに。

 

いろいろ調べて、結局、「食」と「薬」が症状の原因だと気づきます。普段の「食」においては、添加物など化学物質を除き、自然のものに変える。そして「薬」を絶つ。半年かかりましたが、自然治癒しました。

 

「本来の自己」を育てるモンテッソーリ教育に関心

モッテソーリ教育には、ずっと関心を持っていて。イタリアの医学博士で幼児教者のマリア・モンテッソーリが提唱した教育論です。人間は生まれながらに「自己教育力」を持っていますよと。集中することで、「本来の自己」を発揮できる。簡単に、ざっくり言えばですが。

 

娘が2歳の頃から、モンテッソーリのセミナーに行ったり、本を読んだりして学んだことを、家で実践していました。例えば、赤ちゃんが、わざと物を何度も落とすのは、重力を研究しているからだと。そこで、下の瓶にストローを落とせるようフタに穴を開け、「ストロー落とし」という「教具」をつくる。これなら100均で材料を揃えられるわけです。

 

4歳になると、モンテッソーリ教育法を行う足立区梅田の保育園・うめだ「子供の家」に通いました。選んだ理由は、「自由」と「異年齢交流」の2つ。やりたいことを自分で決められる自由があること、クラスが3歳・4歳・5歳の縦割り編成なことが、魅力的でした。娘は楽しく通っていたんですが、なぜか保育園の本格的な「教具」には興味を示さない。先生がさまざまな教具をすすめ、周りの子もそれで遊んでいる、でも、保育園から送られてくる写真に写る娘は、いつも絵を描くか、粘土をこねているか。親としては、立派な教具で遊ぶところも見たいのに(笑)。

学科の勉強はせず、絵ばかり熱心に描いている

絵は、0歳か1歳の頃から、描き始めてました。クレヨンや色鉛筆をグリグリやることから始まって、もう何枚も何枚も飽きずに描く。本当に好きみたいです。目の前の物をよく観察して写生するのも得意。最近は、マンガをよく模写します。古本屋で『古事記』のマンガを見つけて以来、神様の世界にはまりまして。「アマテラスオオミカミは、こうだ」「スサノオは、ああだ」などと夢中に。

 

頑固なところもある。保育園の先生が「将来の夢を書きなさい」と言えば、たいてい「お花屋さん」「お巡さん」など何か答えるもの。「そういうのがないから、分かんない!」と娘は怒るわけです。あまりにも先生が尋ねるので、「しょうがないから、『絵描き』って書いたけど」と。今は「こども画伯」を名乗っていますが。

 

学科の勉強は、ほとんどしてません。マルタにいた頃、「算数は苦手」と思ったらしくて、全然手をつけてない。漢字も、20字ぐらいしか知らない。でも、ようやく目覚めてきたようです。知り合った1歳下の子が、漢字好きらしい。自分は年上だから、「この字、知ってる?」と教えたくて学び出してます。「文字」に敏感になる時期が来たのでしょう。モンテッソーリでは、そんな「敏感期」を大切にしています。彼女の成長のタイミングで、物事を学んでいけばいい。

 

娘は、そのうち苦労するときがあるかな? ないかな? たぶんあると思います(笑)。社会とずれた価値観で生きているわけですから、「私、だいぶ浮いてる」って。ある日突然、「行きたいとこあるから、そこ行ってくるわ!」と、親元を飛び出す時期がきたら、それはそれで素敵かな。

 

「胎内記憶」から学んだこと

日本胎内記憶教育協会の基礎講座を受けて、感銘を受けました。モンテッソーリ教育と合わせて考えると、ピンとくるものがある。胎児のときが、一番「自己教育力」を発揮しているといいます。それは大人が邪魔しないから。残念ながらこの社会に生まれた直後から、いろいろな大人の手が入って、その子が本来持っているものを育てにくくしてしまう。例えば、お腹の中で指を吸っているのは、生まれてからお母さんのおっぱいを飲む練習をしているから。子どものすることには、全部意味がある。

 

誰でも胎児のときの記憶を持ち続けるそうです。その記憶をたどれば、人は、お母さん、お父さんを選んで、お腹の中に入ってきていると。すべて自分が選んでいる。「子どもを生まない」という気持ちを持ったからこそ、自分が子どもを持ったとき、その経験を生かせる。祖母に育てられたこと、夫と出会い、店を持ち、海外に行き、今こうした生活をしていることも、全部つながっている。

 

日本中の輝く大人を取材して回りたい

今は、特に活動らしい活動をしているわけじゃないんですね。子どもと暮らしていることが、活動かな(笑)。ゆくゆくは、日本全国をマイカーのトゥクトゥクで回って、いろんな人に会って取材し、記事を書いて発信したいと考えています。娘がついてくるかどうかは、本人次第。ジャンルは問わず、寒いところ、暑いところ、多様な風土を体験し、その人のやりたいことや希望をうかがい、図鑑風にまとめてもいい。まだ形は決めてませんが、子ども向けのものにし、「こんな大人がいるよ」「無限の生き方があるよ」ということも伝えたいんです。その構想の第一歩に、こないだ宮崎県で、車の免許を取得しました!

 

 

(聞き手・ライター上田隆)

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