タビスルオヤコの「学校」

教育

<インタビュー・改田友子さん>

宮崎で「オルタナティブ学習」、東京で「ホームスクーリング」

今、家族は、東京と宮崎を行ったり来たりしています。昨年1月に、家族3人で宮崎県に引っ越して、8カ月くらいいました。その後、旦那を宮崎に残して、娘と2人で東京に半年ほど暮らし、次にまた宮崎で家族が合流。今、私だけ東京に来て、2週間います。

 

小学3年生の娘は、宮崎県延岡市にあるオルタナティブスクールに、週5で通っています。地元の公立小学校に所属はしてますが、行っていません。宮崎県を拠点に選んだのは、旦那が同県高千穂町で農業をやりたいということで。

 

スクールは、元教員の方が運営するもの。元々日本の農村にあった暮らしや、自然を体験させてくれます。野草を摘んだり、田植えをしたり。飼ってる鶏が産んだ卵でお料理もする。朝、その日やることを、みんなでミーテイング。「今日は、畑を耕そう」など決めて、1日過ごします。参加する子どもたちは、10人いないかな。

 

東京の拠点は、私が生まれ育った足立区千住の祖父母の家です。娘が東京にいるときは、「ホームスクーリング」しています。学校に行かず、家で学習するということですが、私が勉強を教えるわけじゃなく、親子でいろんな人に会いに行ったり、プレーパークで遊んだり。なにをするかは、娘自身が判断します。ただ出かける際、一緒についてくることが多いですね。私の友人たちといるときは、たいてい絵を描いています。たまに大人の会話にも入る。集まりというのは、私たち家族が以前運営していた子どもたちの喫茶店「こそだて喫茶cotoca」の元講師の方やお客さんです。娘は、そのお子さんたちとも親しくさせてもらって。

 

自宅を丸ごと改修し、「こそだて喫茶cotoca」を設立・運営

「こそだて喫茶cotoca」は、2018年、足立区千住の自宅を改装して開業しました。娘が3歳のときです。家を丸ごと店にして、1階をフロア、2階の2部屋も使えるように。日中、お母さんに連れて来られるお子さんだから、0歳から3歳、保育園・幼稚園に入る前の子が多い。部屋の壁に、ずらりとおもちゃを並べて、子ども自身が選んで遊べるようにしました。子どもたちは遊びに、お母さん同士はおしゃべりを楽しむというか、お互い自分の時間を過ごしてもらえればと。

 

専門の先生方を呼び、イベントや講座もたくさん行いました。娘が絵を描くことが好きなので、「足立区でアートを教えてくれる人、いませんか?」とフェイスブックに投稿したら、スズキミ先生(vol.27、鈴木公子さん)をご紹介いただいて。子どもが表現したことを丸ごと受け入れるスタイルが、私たちの求めるものにすごく近かったんです。スズキミ先生はじめ、ユニークな先生方が何人も集まり、毎回、充実した時間に。

 

お店は週5、土曜日は隔週でやりました。娘も手伝っての、本当に家族3人で運営。ギリギリでしたが、その収入で生活を賄っていました。でも、マルタ共和国に移住することになり、「この場所、空いちゃうな」と。誰か使ってくれる人がいないかなと、講師の先生方に相談すると、井野瀬優子さん(vol.43 )とつながりまして。「なんとしても自分の思い描く『学びの場』をつくりたい!」と熱心に言われるので、「じゃあ、ぜひ」と依頼。いろんな方が協力してくださって、「こそだてシェアハウスcotoca」が新たに立ち上がりました。日本の子育ての裏表を見据えて、「子育て」「食」「自然」「社会」について、子どもと共に、保護者仲間で考えていこうという会で、今も続いています(2023年8月31日で閉店)。

 

日本の公教育に、娘を染めたくなかった

2021年4月、娘が7歳のときに、マルタ共和国に家族で移住しました。小学校にあがる前のタイミングでそうしたのは、日本の画一的な公教育に違和感を覚えたからというか。娘は観察力があるし、周囲に合わせられる。だから小学校に入ると、決められた学校のルールや教師の教え、友だちの「あれダメだよ、これダメだよ」といった言動に絶対染まっちゃうなと。彼女らしさを、ずっとキープしてほしかった。そして、英語を学ぶことで、いろんな価値観に触れる体験をさせてあげればいいなと。彼女が、将来どんな道を選択するか分かりませんが。

 

また、日本の「食」や「政治」に不安もある。旦那は自給自足を夢見て、農業を学ぶつもりでした。

 

…なぜマルタか? 実は、娘が年中さんのときから、オーストラリア行きを考えていました。娘には、シュタイナー系の環境で過ごしてほしいと思っていました。それでビザを取得するために夫が、ずっと動いていたんですね。あちらのコーデイネーターとメールでやり取りして準備。でも、いざ行こうとなったとき、コロナ禍でロックダウンして鎖国状態に。「こんなに準備してたのに!」と、がっかり。今更、娘を、日本の小学校に入学させることも考えられない。それで急きょ、必死に探して見つけたのが、マルタ共和国でした。「英語」と「農業」の両方を学べそうだったので。

 

マルタ共和国に家族で移住し、のびのび英語を学ぶ

マルタ共和国は、イタリアの「足先」から少し南に浮かぶ小さな島です。人口40万人ほどで、南ヨーロッパの共和制国家。主な産業は観光業、公用語はマルタ語と英語です。

 

娘が通った語学学校は、ヨーロッパ、ロシア、アジアなどいろんな国の人たちが、「英語」を学びに来ていました。単語や文法から教えてくれる。加えて、算数の授業もありました。

 

後になって「学校では、一番何を学んだの?」と、娘に聞けば、「他の国の子どもたちと、どうやって仲良くなるかを考えたこと」と答えてました。みんな母国語が違う。英語が話せないから学びに来ているわけで、共通言語を持たない状態。だからカタコトの英語でジェスチャーを交え、一生懸命コミュニケーションを取ろうとする。子ども同士だと、すぐに仲良くなって遊んでましたが。

 

当時、私たちは貯金を切り崩して生活。旦那も、仕事をしてない。滞在するためのビザが必要だから、娘と共に語学学校に通っていました。同時にオーガニック農業を学ぼうとしていたのですが、現地で会おうとしていたマルタ人がポルトガルに移住しまって叶わず。

 

学校は、朝8時から昼2時まで。終わったら、家族で海に泳ぎに行ったり、ときに娘は学校の友だちと遊んだり。治安はすごくいい国で、ビーチに荷物を置きっぱなしにしても大丈夫なほど。

 

本当は1年滞在するはずでしたが、マルタ国側から「ビザが途中で切れるので、更新料が必要だ」と、入国前に確認した情報と違うことを言ってくる。「やり方が気に入らないから出よう」となり、結局8カ月で帰国することに。

 

帰国後、夫は宮崎で自然農、母子は時に東京へ

2022年1月、宮崎県延岡市の住まいに移りました。旦那は、車で45分の高千穂町にある農的暮らし研究所に通っていました。そのうち、地元の農業委員会の方が「農業やりませんか」と、耕作放棄地の広い農地を提供してくれまして。今、彼は、ものすごく広い所を一人で切り回しています。当初は、手伝っていましたが、「これは夫の夢であって、私の夢ではない」と、辞めました(笑)。

 

娘は、宮崎で「オールタナティブスクール」に通い、ときたま私について東京に戻り、「ホームスクーリング」をする生活に。宮崎での生活はすごく楽しんでいますけど、東京にもたくさん友だちがいる。マルタでの生活と比べて、「日本語の方が楽。いちいちこう考えてしゃべんなくてすむ。英語はめんどくさいから嫌」と言ってます(笑)。仲良くなったベラルーシの女の子と、時々オンラインで会話してますけどね。小学生の期間は、あと3年残ってます。中学校へは、行きたければ行くだろうし、行かなければ行かないだろうし。今後のことは、一緒に考えればいいかなと。

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