ウクライナ避難民が、日本で思うこと

外国人

<インタビュー・エリザさんとノリさん>

あたりまえの日常を打ち砕いたロシア侵攻

エリザ/ 明け方でしたか。いつもの水曜日です。

朝5時、目を覚ましてトイレに行ったときは、まだ何も起こっていませんでした。30分後に、母が私の部屋に来て、「戦争が始まった」と。爆弾の音が遠くでしたようでしたが、よく分かりません…まったく予想していませんでした。この時代に、戦争なんて起こるはずないと思っていましたから。母もそうです。2014年のロシアによるクリミア併合の時は、キーウに戦車が現れましたが、砲撃はありませんでしたし。

 

テレビをつけると、ロシアのプーチン大統領が映り、「この方法(侵攻)しか、ありませんでした…」と語る放送が流れていました。ウクライナ政府からのインフォメーションは何もありません。

 

半日後、国境が封鎖され、ロシア軍の侵攻が開始。テレビで、ロシア兵がヘリコプターから降りる様子や、空港が制圧される状況を見ました。

 

侵攻は計画的でした。夜になると、照明弾が照らしたキーウの街並みに、ロシアの歩兵隊がぞくぞくと入ってきます。このときウクライナ政府はテレビで、「市民は外に出てはいけない」と警告。また「街にひそんでいるロシア兵を見つけたら、警察に連絡してください」とも。回線はパンク状態で、つながりませんでしたが。

 

パニックに陥った街で、死の危険にさらされる日々

侵攻が始まって、2日か3日後のこと。

私の家族が住むマンションは、郊外の端、電車の最終駅近くに建ちます。目の前の森にひそんでいたロシア兵と、ヘリコプターから降りてきたウクライナ兵が対峙し、今にも戦闘が始まりそうに。とても怖かったです。あんなにたくさんの兵士やヘリコプターを見るのは生まれて初めてでした。すぐ上を横切る飛行機から、「フゥーッ!」という音を聞くと、爆撃と勘違いして。そうではなかったんですけど、精神的に追い詰められていたのでしょう。

 

キーウ市内に爆弾が次々投下され、毎日、昼も夜も警報が鳴りました。

…シェルターですか? 一番近い避難シェルターは、歩いて10分。少し遠いですよね。建物は脆弱な構造で、トイレも空調設備もない。しかも、高熱の温水パイプが壁から付き出ている。爆弾が直撃すれば、瓦礫の下に埋もれるか、熱湯を浴びる。家で死ぬか、熱湯で死ぬか(笑)。ただ、マンションとマンションの間に広場があり、そこに逃げていました。窓もなく、室内にいるよりはましですから。

 

食料を確保することも大変です。街に出ても、店の半分は閉まっていました。開いている店には人が殺到し、買い占めようとパニックに。暴動も起きました。ショッピングカートをひいていた1人が、集団に襲撃される様子も目にしました。

 

夜は、寝るように努力しましたが、緊張と恐怖で眠れず。昼は昼で、新しい情報がどんどん出てくるので、ひと時も心が休まりませんでした。

 

侵攻の合間にキーウ脱出を決意し、リヴィウに一時避難

母は、幼稚園の園長をしていて、いつも多忙でした。家にいても、得た情報を人に伝えたり、ニュースを見たり。親子で話す時間はありませんでした。日中、私は、1人で部屋にこもり、パソコンで仕事をしていました。

 

侵攻から数日後には、マンションの同じ階の住人はみんな避難し、残るのは私たち家族だけに。当初、避難するつもりはありませんでした。私も母も、頼る先もありませんし、どこへ行けばいいかも分からない。特に母は、幼稚園を経営しているので、離れることができません。

 

しかし、キーウ市長から、「ロシア兵が封鎖していた橋を破壊するかもしれない。逃げるなら今ですよ」とのアナウンスがあり、その週末、私は母を残して避難を決意。まず、ウクライナ西部の小さな街リヴィウ市に行くことにしました。

 

3月2日、朝6時、友だちと落ち合いました。慌ただしい中、母とは言葉をあまり交わさずに別れました。車を見つけられなかったので、タクシーと電車を乗り継ぎ、リヴィウに到着。避難所は田舎の古い農家で、家主はボランティアで避難者を受け入れていました。7部屋あり、今出ていく人があれば、私たちのように入ってくる人も。そこでは、畑仕事、集荷、道具の手入れなどの農作業を手伝うかわり、食事も宿泊費も無料でした。

 

当時、キーウは砲撃にさらされていましたが、ロシアのフェイクニュースを恐れるためか、報道機関からの情報が遅い。しかも、攻撃されてかなり経過してからの情報は、あまり意味がありません。毎日電話でやり取りしている母に聞いた方が早かったです。

 

この頃、日本のノリさんと連絡を取っていて、日本行を模索。リヴィウには、3週間滞在した後、隣国のポーランドに向かいました。

 

ドイツ、ポーランドを経て日本に至るまでの複雑な経緯

ノリ/ ここからは、僕も関与しています。当時、エリザとはフェイスブックのメッセンジャーでやり取りしていました。状況を聞いて日本への避難を勧め、彼女も希望しました。そこで日本行きのビザを取得するために動き始めました。

 

エリザ/ 侵攻が始まってから、ウクライナ人避難民の80%はポーランドに向かったので、もう仕事はないだろうと。だから、日本行きを選択しました。日本へは10年前に何度か旅行しており、キーウの大学では日本語を専攻。とても好きな国だったこともあります。

 

ノリ/ キーウの日本大使館はすでに閉鎖し、リヴィウに移っていました。そこに問い合わせたのですが、「日本行は、ポーランド・ワルシャワの日本大使館でやってくれ」と言われまして。ここからが話が少し複雑になります。

 

エリザには、まずワルシャワに行ってもらい、本人が大使館で手続きをする。ビザが発行されるまでは、ドイツにいる僕の友人の家にホームステイを。その間にビザが発行されたので、僕が身元保証人となる書類をワルシャワの大使館に送付。3週間後、エリザ本人が再びワルシャの大使館に行き、ビザを受け取りました。

 

エリザ/あの時はコロナ禍で、情報も得にくかったです。日本までの航空チケットが手に入るか分からず、心配が募っていました。ワルシャワ空港でPCR検査を受けましたが、検査結果の段階で、「鼻のみで、喉の検査が行われていないからダメ」とチケットを発行してくれない。そこで空港と闘いました(笑)。1時間ほど、説得したんです。「お金もないし、日本に行けなかったら、ここで住んでやる!」ぐらいの勢いで。なんとか、発行してくれ…。

 

成田空港に到着後、5時間の「不安」を過ごす

4月9日、日本に到着。「これから新しいことが始まるんだ…」と、また新たな心配が募ります。

 

成田空港では、5時間ほど待ちました。日本でもPCR検査を行わなければならず、検査結果が出るまで何度も列に並ぶことに。カードはありましたがコインはなく、自動販売機も使えない。同乗していた人たちから手続きの苛立ちがつのり、不満の声も上がりました。日本のスタッフも「ここで待ってくたさい」としか言ってくれない。何も聞かされなかったことが、一番不安でした。

 

飛行機で一緒だった女の人は、3、4匹の犬を連れていて、1匹以外は空港に預けていました。犬たちも12時間は何も食べていない。それで彼女はパニックに。

 

ようやく、ロビーで待っていたノリさんに会ったときは…(日本語で)アァ、ヨカッタ!(笑)。

すごく疲れていましたが、入国までの全てのプロセスが終わったので、ハッピーでした。

 

「日本語」という壁が、生活、就職を阻む現実

エリザ/ ホームステイ先は、東京にあるノリさんの実家です。お兄さんが住んでいたところが空いていたので、そこを使わせてもらいました。第1日目は、日本にいることが信じられませんでした。ただ、次の日からリモートでのシステムエンジニアの仕事があり、イギリスのボスが、「ちゃんと時間通りに始められるのか?」と催促。「最初だから、インターネットの状況も分からないのに」と焦りましたが、それはもちろん大丈夫でした。

 

日本に来て一番最初に感じたのは、「不便さ」です。コロナ禍のため、1週間の隔離期間はしかたありませんが、英語を話す人が少なく、話せる人がいないと何もできないなぁと。イミグレーション(出入国在留管理庁)や市役所に行っても、書類が全部日本語なので、1人では手続きできない。銀行では口座の開設を拒否され、いまだにつくれていません(ゆうちょ銀行は可能)。

 

書類が、とにかく多い。そして、部署ごとのコミュニケーションが少なすぎる。ウクライナでは、病院や弁護士事務所に行っても、個人情報はみんな共有されているので、そこまで煩煩なことはありません。

 

ノリ/ 日本でいう「マイナンバーカード」があるということでしょう。

 

エリザ/ 5月には、イギリスの会社を辞めました。勤務時間が昼1時から深夜1時までの12時間で、給与がウクライナ基準の月300ドルだからです。これでは日本で暮らせない。

また、日本のシステムエンジニアの仕事は、ヨーロッパとは違うシステムを使うので、私には理解できません。もし、IT関連の仕事をしたいのなら、日本の学校で学び直す必要があります。また、ハローワークに行きましたが、日本語が不自由なことで、少しの仕事しかなく、自分が望むものはありませんでした。

 

経済状況ですが、当初、食費・宿泊費は、ノリさんのご実家に支援してもらいました。現在、都営住宅に移れ、西東京市では家賃が無料に(保健関連も)。日本からの経済支援は、入国して4カ月後に25万円の支給を受けました。次からは3カ月ごとに25万円の支給に。使うのはほぼ食費と交通費のみ出費となりますが、無職なので切り詰めた生活になります。

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