一人ひとりを「看る」政治

政治

<インタビュー・沼田たか子さん>

父の影響で、「社会」に目を向けた子ども時代

小学3年生のとき、両親が離婚しています。喧嘩する様子もないのに、突然、母親がいなくなりまして。「なぜなんだろう」「いい子にしてたら帰ってくるのかな…」と。ずいぶん寂しい思いをしました。

 

父が、私、妹と弟を引き取り、頑張って育ててくれました。もう一人大切な人がいます。ご近所さんのご紹介でお手伝いに来てくれたマキおばあちゃんです。お料理上手な人で、ずっと食事のことや家のことなどをしてくれて。運動会でも、マキおばあちゃんがつくったお弁当を一緒に食べました。今思えば、「地域で助け合う」とか、「お互い様」とか、マキおばあちゃんから知らず知らず学んでいたのかも。

 

新潟の田舎町でしたから、「あの子のうちは、お母さんがいないから遊んじゃダメ」と言われることも。それで、父に迷惑かけないためにも、周りの大人の目をいつも気にしてしまう。「いい子でいなくちゃいけない」「こうしなきゃいけない」と、自分を演じているような子どもでした。

 

社会への関心は、父の影響があります。昔から、貧困問題や環境問題など、いろんなことを話してくれました。例えば、「特に牛肉は食べないほうがいい」。牛を育てるには飼料と、その飼料を育てるための水が大量に必要なんです。輸入牛肉を食べるということは、その土地の水を奪っているということ。作物を栽培できるはずの土地を、畜産に使われているのは問題です。今は「ミートフリー運動」が広がっていますが、子どもの頃は初めて聞いて、「そんなこともあるのか」と驚きました。環境のことを考えさせるためなのか、尾瀬へのハイキングや、特に名所でもない山へのキャンプなど自然の中によく連れて行ってくれました。また、車の排ガスは大気を汚すというので、「アイドリングストップ」のステッカーを自分でつくって車に貼ってました…ちょっと変わってますよね(笑)。

 

小学生の頃、父が支援している関係で、フィリピンの貧困地域の子どもたちと文通していたんです。日本語で書いて、ボランティアさんが通訳して届けてくれるので、何カ月もかかって返事が来る。そんなやり取りの中、父は、「お金だけ届けたら、その人だけがお金持ちになるだけ。地域全体を豊かにする仕組みとしてサポートしなければ」と教えてくれました。

 

高校生になって人生が前向きに

後年、政治について意識したのは、看護学生の頃です。巻町(私が生まれ育った吉田町の隣町)

で、原子力発電所をつくる計画がありましたが、「つくるべきではない」という住民運動に発展。反対派の町長も立てて、住民投票が実現、その結果、計画は白紙に。私たち市民の力で、大きなことを変えられるんだと、強い印象を持ちました。

 

小中高と過ごす中で、いろんな人との出会いもあり、「他人は、そんなに自分のことを見ていない。思う通りにやっていいんだ」と気づくように。すると、気持ちがすごく楽になって毎日が楽しくなったんです。人生が180度変わりました。

 

日頃、父が言ってくれたことも大きかったですね。「人生いろんなことがある。悲しいときは、落ち込むかもしれない。努力して乗り越えれば、将来役に立つ経験になる。すべてのことが、人生にとって必然で大事なことなんだ」と。

 

新人看護師として、大学病院の血液内科で奮闘

看護の世界に入ったのは、中学、高校のとき、祖母の看病をしたことがきっかけです。いざおばあちゃんの体を抱えると、起こすこともできない。どんな食事がいいのか見当もつかない。「私、何も分からないんだな」って落ち込みました。それで「勉強したい」と。

 

看護師を目指し、大学は看護学科に入学。学問として看護を学びました。卒業前、進路を相談する際、ゼミの教授に「日本で一番いい看護をしている病院はどこですか?」と尋ねると、「日本医科大学と虎の門病院」だという答えでした。そこで、どちらの病院にも見学に行き、私には日本医大が合いそうだと思ったので、そこを志望しました。

 

1998年、新人として、日本医科大学付属病院に勤め始めます。私は、「血液内科」の病棟に配属。白血病や悪性リンパ腫など出血しやすく血が止まりにくくなる患者さんが入院するところです。病状や、大量に使う抗がん剤の作用などで、患者さんたちは脳や肺、腎臓などの細かな血管を損傷し出血しやすい。そして、免疫力も低く感染を起こしやすい状況にあり、急変も多くありました。日勤で楽しくお話をしていた患者さんが夜勤で行くと、鎮静剤で眠り人工呼吸器で呼吸管理をしている、ということも。体内の水分バランスをみながら24時間連続で厳密に管理される点滴、正確な時間間隔で使う抗生剤、治療計画によってさまざまな抗がん剤、心臓に作用する点滴、鎮静の点滴、人工呼吸器の管理、クリーンルームでのケアなど、やらないわけにはいかない。必死に勉強しながら歯を食いしばって頑張りました。

 

救急救命センターは看護師が手厚く割り当てられます。でも、血液内科は重症者が多くなっても一般病棟にあり看護師が少ないので、大変でした。ときに、サポートに来るセンターの看護師の先輩から「大変だよね」と言われてしまう職場でした。

 

まさに「戦場」です。先生の指示も、患者さんの状態から時間時間で変わっていく。さまざまな仕組みでカバーされ、ミスが起きない体制になってはいますが、気がぬけない。当時は経験も少なく、「私の手に負えない!」と涙を流した日もありました。それでもなんとか乗り越え、体験を重ねるうち、「人の命にかかわる世界にいる。こんなに魅力的な仕事はない」と思うように。さらに、日々の勉強や経験が、すべて結果として反映されることにやりがいも感じました。この仕事に「ドはまり」したんです。

 

病院の治療に足りないこと

しかし、なにか物足りなさも感じ始めます。病院はあくまで「治療優先」で、患者さんとは大勢の中の一人として接しなければいけない。例えば、大量の抗がん剤による療法で食欲がない患者さんに、「食事をちょっと温めてあげたら、食べられるだろう」と実行したとする。後で上司から「あなた、それを全員の患者さんにできますか?」と注意されるでしょう。

 

「この人には必要だけど、できないということ」が意外とある。看護師は、患者さんに退院後の生活指導をします。でも、その人の実際の生活状況が分からないので、必ずしも適切な指導ができない。だから、退院後に症状を悪化させ、病院に戻ってくる人もいます。

 

それで「患者さんの生活に入り込めば、もっと適切な看護ができるのではないか」「在宅をやってみたい」という気持ちが募っていきました。

 

…いえ、「訪問介護」ではなく「訪問看護」です。「訪問看護師」というのは、稀な職業というか、看護師の中でも4%しかいません。「ヘルパーさん」と混同されることが多いですが、「看護師で、おうちに行く人もいるんですよ」と説明しています。

 

「訪問看護」の世界にのめり込む

結婚後、夫の転勤で、固定の病院にいられない状況に。ちょうどいい機会だと、さまざまな医療機関に短期間ずつ勤めることにしたんです。大学病院という特殊な環境にいたので、点滴を刺すなどの経験もしておらず、「自分は使えない看護師」と常々感じていました。そこで市民病院の救急外来に勤めて、一般的な看護師の業務を一通り経験。あるとき、訪問診療のドクターについて訪問看護をしてみると、やっぱり「訪問看護、難しすぎて面白い!」と思ってしまって。結局、訪問看護ステーションに勤務することに。

 

訪問看護って、行った先で一人なんですよ。病院だったら、病状の変化や処置に困ったときなど、ナースルームに助けを呼べますが、在宅ではそれができません。在宅では自分で病状を判断して必要なケアを一人で行います。反面、同じ30分の契約時間でも、自分の経験値を高めるほどに、より密度の高いケアができる。皮膚のケアだけやって帰る看護師もいれば、皮膚に加えて巻き爪のケアもやり、加えてお話や相談に時間をつくれる看護師もいます。

 

在宅に入る看護は、病気を治す以上に、患者さんのやりたいこと、目指すところを、どうやったらできるかと考えながら寄り添う仕事になってくる。「あっ、この人だったら大丈夫」と受け入れてもらわなければ、何をやるにも前に進まない。その方の世界に入らせてもらって、お互いコミュニケーションを取りながら、一緒にやっていく。そうした気持ちが大事なんです。

 

新人指導に生かすため、心理学を大学で学ぶ

訪問看護を長くやっていると、新人の方にアドバイスや指導したりする機会が増えてきます。同じことをやっても、うまくいく人といかない人がいる。それって、なぜなんだろと考えると、うまくいかない人は、「一人よがり」なことが多い。相手が見れていない。技術はあって当たり前ですが、患者さんと顔を合わせたときの声のトーン、視線のもって行き方、間の取り方など、細かく気を配る必要があるんです。いつもは元気なテンションで話しかける患者さんでも、「なにか今日は様子が違う」と感じれば、これまでの姿勢を変えていく。

 

新人指導のために、心理学を勉強したらいいのかなと思い、大学で学ぶことに。当時、不妊治療をすることになり、仕事をセーブする状況だったので、時間がつくれました。学部に編入し、一般的な心理学をひもときます。学習心理学、社会心理学、児童心理学など、各分野に触れてみたという感じ。学んでみて、心理学って「科学と実験」だなと。イメージではなく、ちゃんと理論が成立している。でも、現場で相手の動きを見ながら対応していく力を養うのは、実践の中でしかできないなと実感。「大学で学問として学んだだけでは、私の知りたいことは、ほぼ分からないということが分かった」と学びました。

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