どんな境遇の子も、健やかに育つ社会に

居場所

<インタビュー・井野瀬優子さん>

生活に困難抱える家庭の子どもたちを、「子ども食堂」に招く

「こそだて図書館」の施設長を務め、1年になりました。居場所事業の責任者という役割です。ここでは、「子ども食堂」を、第1と第3土曜日の月2回、定期的に開催。保護者であるお母さん向けと子ども向けのイベントを各々行いますが、企画運営など中心になってやらせてもらっています。

 

子ども食堂は、「わくわく便」を利用する、生活に困難を抱えるご家庭に向け、クローズドでご案内していて、その調整も私の仕事です。毎回こちらから案内状を送ります。食事の準備や、車の送迎などがあるので、参加希望者は改めて予約していただく形に。今、コロナ禍なので、多くても10人から15人ほど、「5世帯」が定員枠。毎回来てくれる子たちが2世帯、他の3世帯が入れ替わるというサイクルです。続けていくにつれて、枠が足りなくなっていくでしょうが。

 

12歳以下の子どもを対象にしています。実際には、0歳の赤ちゃんから、一番上だと中学1、2年生まで来てくれています。お母さんと一緒に、高校生が訪れたことも。

 

スタッフは、朝9時から集まりメニューを決め、午前中に買い出しを行って調理。お昼頃に子どもたちが来て一緒にご飯を食べ、2時頃から落ち着く。前回はケーキづくりでしたが、何かしらのアクティビティを行っています。すごろくや手づくり石鹸などもつくりました。夕方5時頃まで、子どもたちと一緒に遊んで、見守ります。

 

「おもちゃ」は、みんなで遊んで仲良くなるツール

おもちゃも絵本も、寄付でいただいたものです。新品は、「おもちゃの図書館全国連絡会」から。通販の「Amazonウィッシュリスト」で購入して、個人的に寄付される方もおられます。遊具メーカーさんからは、部品が欠けたり、廃盤になったりしたおもちゃをくださいました。とても状態がいいものです。

 

ここに来た子どもたちは、まず、おもちゃの引き出しを開けて…という感じ。貸出もやっており、期間は一応2週間。開設当初は、「借りたい! 借りたい!」と持って帰ったものですが、やがてそういう子は少なくなりました。みんなで遊ぶ方が面白いからでしょう。

 

工作もよくしますが、そんなとき、上の学年の子が、下の子の面倒を見ます。クリスマスカードをつくるとき、字の書けない未就学児に、上の子が手ほどきしていました。発達障がいの特性があり、人とかかわることが苦手な子も、回数が増えるにつれ、打ちとけてきます。子どもと大人の関係はもちろん、子どもと子どもの関係がより深まってきているのかなと。

 

表情が暗かったり、きょうだいの影に隠れたりしている子は、無理にみんなの輪に入れようとしません。「ちょっと2階でご飯でも食べようか」と誘い、ボランティアさんと1対1の関係をつくることから始めます。すると、本音をぽつぽつと語り出す子も。今悩んでいることだけでなく、前のことも話してくれるように。「お母さんが、夜もお仕事に行っちゃって。私が泣いても家にいなかった」などと。

 

地域のママと子ども向けに、イベントを次々開催

「こそだて図書館 あだちキッズカフェ」の存在を知ってもらおうと、保護者、お母さん向けのイベント(無料)をたくさん催しました。「わくわく便」の対象者とは別に、平日に来ていただく一般世帯のご利用につなげるためです。

 

「アロマストーンづくり」では、アロマを入れる石こうに、ドライフラワーを飾るなどし、デコレーションを楽しみました。ほかに、ヘッドスパ、ミニツボマッサージなど、リラクゼーションものが人気でした。施設を訪れる人は、徐々に増えています。一般世帯は送迎をしていないので、ご近所からが多いですが、3キロ先の梅島から来てくれる方も。

 

子ども向けのイベントは、月1回。夏休みは、多めに開催しています。昨年10月は、「虹色応援プロジェクト」(代表・佐久間久美子さん)との共催で、埼玉県戸田の方まで足をのばし、「デイキャンプ体験」を行いました。また、昨年12月に「神の家族主イエス・キリスト教会」で開催した「クリスマス・イン・ザ・シティ」は大盛況。クラウドファンディングで資金を募りましたが、クラファンの使途は、会場装飾代やエアー遊具の購入、ボランティアさんのコスチューム、ランチの食材費です。 1人5000円のプレゼントは、「tetoteサンタプロジェクト」さんとの提携により、実現できました(https://instagram.com/tetote_japan?igshid=YmMyMTA2M2Y=)

 

子ども支援にかかわるきっかけは、「小4の男の子」

子ども支援にかかわりたいと思ったのは、子どもの頃に体験したエピソードがきっかけです。

 

小学5年生のとき、4年の妹のクラスで学級崩壊が起き、担任の先生が1年間に3交代したんです。リーダー格だった男の子が、周囲を巻き込んで騒ぐのが原因で、授業にならない。その子は、両親が共働きで忙しいおうちの子という印象でした。

 

私は母子家庭で育ちました。母親と過ごす時間があまりありませんが、おばあちゃんとおじいちゃんと一緒に住んでいたので、寂しくはなかった。自分は片親だけど、その男の子は両親がいる。「なぜ、学校で悪さをしてやろうという気持ちになるのか」と考えました。「家で、自分の話を聞いてくれる安心できる場所がなかったのかな」と、子ども心に心配したというか。

このことがずっと心に引っかかり、進路を選ぶ際、子どもを支える保育士の道に進みました。

 

子ども時代を救ってくれた「居場所」

子どもの頃の私には、家以外にも「居場所」がありました。「おやこ劇場」がそう。会費を支払い、親子で、劇やミュージカルをみんなで観るという活動です。また、年2回ほど、大学生や若い社会人のお兄さんやお姉さんが連れて行ってくれるキャンプにも参加。そういうところがあったから、自分はたぶん荒れなかったのだろうなと。

 

経済的に余裕がない家庭だったので、我慢することも多かったです。流行のゲームや洋服も買ってもらえない。周りの子と同じようにできないこともたくさんありました。我慢する癖がついて、「自分が生まれて来なければ、お母さんがこんなに、大変な思いをすることはなかったんじゃないか」と思いつめたことも。

 

ただ、高校受験の際、塾には行かせてもらえまして。中学のとき、部活でいじめられていたんです。勉強をがんばって、いい学校に行けば、いじめなんてなくなる。いじめる人は、低レベルなんだと。節目節目は、わがままを聞いてもらいました。負けず嫌いなので(笑)。

 

事務職を経て、保育士の道に進む

高校を卒業して、すぐに就職。本当は大学に進学したかったのですが、志望校が私学。「行くんだったら、まずは自分で就職して、学費をつくりなさい」と、母親に言われまして。当時は、政治経済に関心がありました。

 

それで中小企業に就職し、事務職に就いたんです。2年たってみて、今から大学に行くのも難しい。仕事にも魅力を感じない。この先、どうしようとなったとき、あの小4の男の子のことが思い浮かんだんです。子どもたちの「居場所」をつくる仕事がしたいなと。大学に行き、小学校の先生になることも頭をよぎりましたが、子どもの人格形成に大きな役割を担う幼児教育をやってみたいと思ったんです。

 

夜間の保育士専門学校に通い、昼は中学校で事務員として働きました。3年後、保育士の資格を得て、保育園に就職。3年間、在籍してたんですけど、保育士として、やれることに限界を感じてしまって。やっぱり子どもは、お母さんとの関係の中で、家庭内で育つ。身に着ける価値観も、その影響が大きい。いくら保育士がアプローチしても、手の届ききらないところがある。もっと家庭の中に、ダイレクトにできることを何かしたいと思うように。

 

ところで、保育園での人間関係では、鍛えられました(笑)。元々人づきあいが得意ではないので、もう揉まれに揉まれて…。

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