里親は、孤立している

里親・中途養育者

ルポvol.9  【里親・中途養育者2】

 

テーブル上のショートケーキを、ひょいとつかもうとする2歳男児キヨちゃん。「それはお客さん用だからね」と、里母の志賀志穂さんは優しくいなす。元気一杯の小さな「怪獣」を、里父の志賀マサシさんが「おいで」とふわり抱きとめ、インタビューは続く…。

 

さいたま市浦和区のマンションに住む志賀さん一家を訪れ、「里親」をめぐるお話をうかがうまで、すでに2回お会いしている。1回目は、ポルテホールでの映画『隣る人』の上映会で観客として(当ブログvol.1にて、初めてイラストで描いたお子さんが偶然キヨちゃんだった!)。2回目は、中途養育者を支援する町田彰秀さん(当ブログvol.4にて紹介)が足立区で開催する「ゆる育カフェ」の参加者として。とくに後者の会で、志穂さんのお話に心動かされ、また何かご縁も感じて取材させてもらった。

 

不妊治療の末、子を失った痛みから、里親の道を選ぶ

志穂さんがマサシさんと結婚したのは、24歳の時。精神保健福祉士として精神障がい者の生活・就労支援をして働きつつ、長年、不妊治療を続けた。2016年、42歳となって子を授かったが死産。18トリソミーという染色体疾患が原因だという。

お子さんを取り上げたのは、特別養子縁組も踏まえた母子支援に力の入れている産科医の院長先生である。志賀さん夫婦は、出産数日前から、院長先生より初めて「特別養子縁組」について教えられた。自分たちが入院している特別室の前にいた女子高生の妊婦が、その制度の対象者であることも知らされ、複雑な想いを抱く。

出産当日はお産が多く、隣の陣痛室から、ハッピーバースディの歌と拍手が響いた。祝賀の賑わいを、志穂さんは陣痛の痛みに耐えて聞きながら、わが子を他人に託す少女の気持ちをぼんやり考えた。

退院後半年ほど、喪失感で何も手につかない。ある日、志穂さんは、マサシさんに泣いて訴えた。「私には何の価値もない。わが子を守れなかったダメな母親だもん」。夫も妻に泣きながら答えた。「未来ある子どもたちのために、僕たちの残りの命を活かしたい。一緒に里親になってくれないか」。

 

里親の交流会「あゆみのカフェ」を開く

半年後、志賀夫婦は、児童相談所に里親登録を希望し、1年半(長い!)の研修を経て里親登録に至った。そして志穂さん43歳の時、0歳児のキヨちゃんを迎えて里親に。その1年後に特別養子縁組の親権の申し立てをした。実子ではなく里子として育てたその1年間に、制度の不備や、若い世代の母親たちに壁を感じ、地域の中で深い孤立感に陥ってしまう。

そこで志賀さん夫婦は、「ならば地域へ自分たちから出て行こう」と、同じ悩みをかかえる里親や養親、ステップファミリーなど血縁によらない家族を募り、「あゆみのカフェ」をさいたま市内のカフェで開催。活動の中で、悩みを共有することの大切さを実感した。新型コロナウイルスの拡大で3月には中止したが、4月末よりオンライン交流会「あゆみのzoomカフェ」として再スタート。そして、2020年7月、裁判所から特別養子縁組の審判が確定してキヨちゃんは正式に志賀家の実子となった。

10月には、徳島県に移住し、現在、古民家に住まい、社会的養護の子育てコミュニティづくりに取り組んでいる。

 

志穂さんのインタビューから、里親の過酷な実体を初めて知る。それは、複雑な制度や、「定型外」の家族を排除する社会との軋轢から生じていた。

 

(インタビューは、2020年9月20日、さいたま市の志賀邸にて行う)

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