里親は、孤立している

里親・中途養育者

キヨちゃんを、大歓迎で迎えてくれる徳島・過疎の町

東京都内の「移住フェスタ」や「移住市」などいくつか回るうち、私たちの事情や気持ちを受け入れ、寄り添ってくれる移住コーディネーターに出会いました。その方が熱心に紹介する徳島県のとある町がとても気に入ってしまって、移住を決意。高齢化が進む過疎の町ですが、「自殺率が日本で一番少ない」と、精神科の医師やコミュニティの特性が住民の精神衛生にもたらす影響についての研究者が注目している地域でした。

 

行ってみると、驚くことばかり。保育園では、気さくなママと3人のお子さんに「わーっ、同級生やん!」と囲まれる。息子の事情を知っても「関係ない、関係ない」と取り合わず、早速「友だちになってや」という感じです。

私たち家族が住む古民家の棟の住民はすべて高齢者で、「小さな子どもの泣き声笑い声が響くだけで、活気づくわ」と歓迎してくれます。「2歳児が来るぞ!」「生産人口が増える!」と、キヨちゃんの出自を気にする人がいない。むしろ「東京の人(埼玉ですと説明しても)」「移住者」という主語の方が大きくなり、「特別養子縁組」の養子という主語が薄れて、私たち家族を自然に受け入れてくれるのです。

 

親切を押し付けるから、互いにストレスなし

そもそも家の鍵をかけない地域なんです。夕方5時になると、干してある洗濯物をご近所さんが勝手にしまってたたんでくれる。ご近所は、冷蔵庫の中身をお互いに知るような間柄ですから。

付き合い方が独特。困りごとなどもよく聞いてくれるけど、こっちの意向はぐじぐじと深くは聞かない。相手は好き勝手に無理のない範囲で助けてくれる、かえってお互いストレスにならないようです。

あるエピソードがあります。かつて精神科医師の先生が調査に入った際、虫歯が痛くなった。しかし、周囲に歯医者がいない。先生は「我慢します」と遠慮するけど、町の人が「じゃあ…」と先生をいきなり車に乗せて、80キロ先の知り合いの歯医者に連れて行ったそうです。先生の予定は一切聞かなかったそうです。

 

関係性と人間力で、万事効率的に

私たちも同じような経験をしました。移住の下見の際、役所の方や関係者の皆さんでキヨちゃんの保育園を即決してしまいました。当時は監護期間で親権もなく「まだ私たちだけの判断では保育園に入れないのですが…」と慌てても、「いいから、いいから。ダメになったらその時またみんなで考えればいい」と。そして、夫と私の職場も、職歴も詳しく聞かれないままに、「はい、こことここなら、お子さんの保育園と近く(近くどころか夫婦のどちらも保育園を挟んだ両隣の会社に勤めています)でパパもママも送り迎え出来て便利でしょ」とやっぱり即決。首都圏の大きな都市では、何か手続きが必要になれば、血縁のある一般的な親子ではないために、円滑に進まず延々とたらい回しにされるのに、ここでは何事も迅速に物事が進みます。

 

県外から来る移住者は、住む場所や地域コミュニティを、ご自身の人生観から選ばれて来ただけあって、みなさん芯があって、生き方にポリシーのある人が多い。音楽映像を手がける、先輩移住者のアドバイスが印象的でした。「車がエンコしたらJAFなんか呼ぶより、近所の知り合いに声をかけて引っ張ってもらう方が早い。ここでは人づきあいのできない奴はダメ。人間関係を大切にする者だけが生きていける。そして欲しいモノは自分でつくっていくこと」。

 

本当に、この町が好きになりました。ここなら、キヨちゃんを育てられると。

 

「真実告知」は、包み隠さず、本心を

特別養子縁組成立後も、生母さんの存在を忘れる日はありません。特別養子縁組は、キヨちゃんが私たちの戸籍に入ると同時に実親さんとの縁が切れる制度でもあります。親権は児童相談所や司法の判断であっても、私たち夫婦は裁判の申立人です。子ども側からしたら、私たち夫婦が息子と実親さんとのご縁を切ったと捉えられてしまう一面も否定できないグリーフ(悲嘆)の物語です。そのことをSNSで書いたら、「『縁を切った』なんてひどい。子どもが傷ついたらどうするんだ!」とのご指摘もいただきました。でも、それが事実なのは確かです。

 

大切なのは私が死産を経て親になった物語と息子の真実告知は分けて考えなければいけないし、私の物語は自分の中で紡ぎ完結させないと。特別養子縁組の真実告知は、息子は息子で自分が主役の物語が始まっているのだから。さらに生母さんの尊い産みの母としての物語も存在しています。可哀そうな子どもを助けたという、どこまでも善良な正しい養親の感動的な物語にばかりスポットライトが当たるメディア報道が多いけど、私たちは少し違う。夫婦で人生の歩みを重ねた上で、自分たちのエゴイズムから子育てしたかった一面もある。それでもいつでも「あなたと一緒にいたかったから」と、息子には真っすぐに繰り返し伝え続けていきたいと思っています。

 

「生きづらい」を越えて、「自分らしく」育ってほしい

昔の友人たちが、キヨちゃんのことでメディアに出ていた私たちを見て、「ハ~ッ?!」と驚いていました。「いつもライブハウスやクラブで飲んだくれてた音楽オタクの夫婦が、里親になって子どもの支援をしてるだなんで」と。でも、夢を追い続けたり、生きづらさを抱えていたりする個性的でアーティスティックな友だちほど、あたたかい眼差しで応援してくれます。

 

私は、ドキュメンタリーやマイナーな映画を見るのが好きなタイプ。難しい哲学的なテーマである事も多いので、眠くなって集中力を落とさないために、シンとした映画館でグーっとお腹の音を鳴らさないように、上映時間直前に館内でおにぎり一個食べ、映画にのぞむ。だから上映中に、シリアスなストーリー展開に反してキャラメルポップコーンの甘い香りをふりまきカップルで食べるような観客には内心腹が立っています(笑)。夫も似た者同士です。古い黒人音楽のブルースマニアで、「人生に『ブルース』のある人間しか信用できない」なんておかしなこだわりを語る。夫婦ともに、マニアックなアートや憂いのある映画や音楽が大好きでどこか人生観が屈折してる。でも、私たちと正反対にキヨちゃんが明るいハリウッド映画を彼女と手をつなぎながら観て、朗らかにポップコーンを食べるタイプに育ったとしても、それはそれでいいかな。

 

(聞き手/上田隆)

 

参考資料/志賀志穂さん、シガマサシさんのFacebook

あすぷろブログ「田中麗華の里親訪問」第2回       (https://www.asupuroblog.com/satooya2)

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