「子ども支援センター」をつくろう!

政治
「ユニバーサルデザイン」の発想は、少数者の声から

足立区議会で最初の代表質問が、2007年12月。「私は、何を問えばいいのだろうか」と、ノイローゼになるほどに悩みました。選挙活動中や当選後に聞いたいろんな人の声を思いめぐらせ、考え抜いたのが、「カラーユニバーサルデザイン」の提言です。後に、「行政・街づくりへのカラーユニバーサルデザインの導入」の施策として事業化。街中や公共施設の案内板、標識、印刷物などを、色弱者にも分かる色づかいのデザインにするというもの。これを思い至ったのは、ある色弱者の男性との出会いからです。

 

思えば世の中は、多数派の色づかいに統一されてきました。色弱者からすれば、見えづらく、住みにくい世界なのです。それを多数派、少数派かかわらず見やすいデザインにすれば、どんな人でも住みやすい街になる。歳をとれば、白内障や緑内症を患いがちな年配の方々にも、優しい色づかいになります。

 

その実現のために、私は、毎回毎回の代表質問で、何度も粘りつよく政策提言しました。当初は「カラーユニバーサル」自体が知られていなく、その概念から説明したものです。担当の部課長さんのところに突撃訪問し、その意義を話したこともありました。努力のかいあって、1期4年で提言が実現し、足立区が「カラーユニバーサル先進区」として、全国的に注目されるように。

 

「ユニバーサルデザイン」という考え方を、「子ども支援」にも広げました。発達障がい児に対応できるユニバーサルデザインの視点を取り入れた教育を通常学級の中に導入。2022年4月から足立区中学校3校( 鹿浜菜の花中学校、東綾瀬中学校、谷中中学校)、小学校では2校(鹿浜五色桜小学校、綾瀬小学校)がモデル校として、通常学級への導入が先行実施されています。2024年度4月からは、足立区全小中学校にユニバーサルデザインの教育が導入される予定。「足立区版ユニバーサルデザイン」の教育が実施されることで、特性のあるなしにかかわらず、配慮された環境と誰もが分かりやすい教育内容が展開されます。

 

実行して効果が分かりやすい政策は、「制度」にできるということ。その政策の元になるのは、少数派のレアケースなんです。といっても、1人や2人の問題ではなく、その背景には困っている人がたくさん存在します。だから、みんなの制度になり得るのです。

 

発達障がい児の親支える「ペアレントメンター」を東京初で事業化

発達障がいに関する支援事業の立ち上げを進めたのは、発達障がいを抱え悩むご家族を目の当たりにしたことがきっかけです。発達障がい特性のある子どもの親が、同じ立場の親をサポートする「ペアレントメンター事業」は、東京23区で初めて立ち上げに成功しました。

 

問題意識を持った当時、「発達障がい」という言葉も一般的でなく、私にとって未知の世界でした。「どんな解決策があるのか」と、自分の足で全国各地を行脚。施設、病院、自治体、NPOなど、全国各地、電車を乗り継いで視察を重ね、2年越しで提言を練り上げました。

 

お子さんに、発達障がいの特性が見え隠れしていても、親御さんは、対処法が分からないものです。同世代の親にも知識がない。保健所へ相談することも思い至らない。不安が積もり積もる。保育園や幼稚園の先生から、何か言われて、さらに傷ついてしまう…。もうそんなケースをたくさん見てきました。私なら、適切なアドバイスができます。

 

「中国残留帰国者」も「外国ルーツ」の方も、親身に相談

中国残留帰国者の問題については、区議会議員1期目から、ずっと取り組んでいます。血縁の「故郷」は「日本」、育った故郷は「中国」という境遇のみなさんは、現在110世帯156名。その方々と直接お会いし、必要とされることを、ずっとうかがってきました。日本の文化や言葉を学ぶための施設や支援施設の視察、行政へのヒヤリングも重ねています。機関紙『ふるさと』の発行にもかかわり、居場所づくり、ネットワークづくりに協力させていただいております。

 

異文化を背景に持つ方々をサポートすることは、私の政治課題の一つ。少数者として日本の地域社会に孤立し、さまざまな壁に阻まれることが多いからです。

 

先日は、私の娘が通う幼稚園のママ友で、スリランカ人の方の相談を受けました。ビザが更新できず、あと1カ月で帰国しなれけばならない。観光ビザで入国後、難民申請して就労され、4年越しで日本に滞在、お子さんもいる。その方は流山市在住なので流山市役所に足を運び、支援を求めましたが、今のところ状況ははかばかしくありません。彼女の方が「日本大好き!」なんていつも笑顔で言い、かえって私が先に参ってしまって…。

 

足立区民じゃない?…どこの方でも、相談に乗ります。 足立区民限定でなく、市町村も関係ありません!

 

「歩く相談員」として声を束ね、届く支援制度つくりたい

2015年に亡くなられましたが、私の後援会長だった野中徹也さんに言われたことがあります。「あなたは、区議会議員として人のために働かなきゃいけない。だけれども、軸足は常に自分の子どもに向けなさい」と。その教えをずっと守っています。人さまの支援をしながら、子どもにしわ寄せして不幸にする、というのはおかしな話ですよね。愛情を注いできちんと育てて得た、歓び、楽しさを体験してこそ、世の中の子どもも大切にしようと思う気持ちにつながってくるのかなと。

 

下の2人の子は、まだ6歳と4歳。日々、ハードワークなので、時折、夫が主夫となり、子どもの面倒を見てくれます。子育てについては、「愛情と栄養」がモットーです。

 

4人を育てて引き出しが増えたことで、人の子育てがよく見えるように。私は再婚して、2回目の子育てをしています。いろんなことを言われ、深く傷ついたこともたくさんある。助けてほしいことが、行政の支援に乗らなかったことも経験。だから、制度の狭間に漂ってしまう人たちの気持ちも、自分ごとのよう感じます。それをどうしたら解決できるかという方法や知恵を、長い議員生活で培ってきました。だからこそ、「求める人に届く」支援の仕組みを、行政の中につくることに、強い使命感を感じています。私はある意味で、「アドボケーター(代弁者)」であり、「歩く相談員」だと思っています(笑)。

 

みんなで一緒に気づき、声を上げていかないと、何事も変えられません。1人の声であっても、その悩みは多くの人が抱えている。議員の私がそれを束ねて、解決につなげます。諦めてはいけない。ネバーキブアップです。

 

(聞き手・ライター上田隆)

 

 

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