「依存症者家族」から「支援者」に

依存症
依存症を乗り越えた家族の今

モーリシャスから日本に来たとき、娘は8歳。ほとんど日本語も話せない状態だったので、学校では言葉に苦労しましたね。以来、彼女はよく頑張ってきたと思います。

 

今、娘は23歳。いまだに「ハーフ」としての生きづらさがあるようです。特に日本だと肌の色など違う見た目から、常に「外国人」扱いされてしまう。「日本語上手だね」「お箸使えるね」「髪の毛クリクリで可愛い」とか悪意はないけど、その言葉一つひとつが全部刺さる。「マイクロアグレッション(政治的文化的に阻害された集団に対する、日常での何気ない差別)」っていうんです。

 

彼女は、同じアイデンティティを持っている子たちとつながって、いろんな活動をしていますよ。つい先日までは、ヨーロッパを放浪して、得難い経験をしたみたいですし。

 

夫も、日本という異文化の中で、ストレスを感じてきました。電車のシートに座っても、黒人だからか、いつも隣は空いてるとか。帰宅してからいろんな文句を言いますが、私、何て答えたらいいか。「あっそうか、嫌だったね~」ぐらいにしか言えなかった。日本人として恥に思えたり。この国は、有色人種には冷たい文化だなと。日本に来た当初、夫は、友だちも、母国の家族もいないし、すごく辛かったと思います。そういうときに、私が寄り添えてなかった後悔がありますね…。

モーリシャスの人々がふりまく「愛の粒」

一昨日、モーリシャスでは、大きなサイクロンが来て、大洪水で大変なことになりまして。「大丈夫?」って連絡したたら、とりあえず家も人も無事だったんですけど、やっぱり心配に。6人兄弟で日本にいるのは、私たち3人だけですから。

 

向こうでは、家族をとても大切にします。去年4月に帰ったとき、大きな気づきをもらって。この国の人たちは、経済的には苦しい生活をしてるけど、超楽しそうなんです。私たちも、あちらの家族と、朝から海で泳いだり、浜辺でパーティしたり、一緒に過ごしました。みんな、自分を大事にしてるなぁと。自分勝手に生きている。日本人にしてみたら、ドタキャンあり、遅刻ありで、人に迷惑かけてるみたいと思うでしょう。でも自分自身が癒されているから、みんなに優しいのかなって。見えないけど「愛の粒」が、そこかしこに散りばめられている。

 

いざ日本に帰ってきたら、全然落ちてないですよ、愛の粒が!  あの人がどう思う、上司がどう思う、家族がどう思う、友だちが…と相手に気を使ってばかり。だからどんどん行き場がなくなっちゃう。

 

日本社会は、もっと「多様性」を受け入れたらなと。夫は、モーリシャス人だけど、アフリカやインドの血も受け継いでいる。「ナラン」はインドの姓です。娘には東アジアの血が入ったから、うちの家族はもうごた混ぜなんです。血が混じるってすごいことで、いろんな視点を持てる。気づきだったり、感じることだったり、教えてもらうことがいっぱい。私なんか2人と比べるとボーッとしていて…。

 

「居場所」としてのY-ARAN

YーARANも多様ですよ。スタッフ、メンバーともに、いろんな経歴の人が集まっていますから。事務所で机を並べるスタッフの1人は、壮絶な過去を持つ元当事者、もう1人は依存症を知り尽くす専門家で、本当にお世話になっています。迷うことがあるたびに、相談させてもらって。ミーティングもよく行います。ここで行うことには見本がないので、自分たちで探り探り進んでいくしかありませんし。

 

メンバーによく言うのは、「かっこ悪いあなたでいてね」(笑)。だらしなくて、大丈夫じゃないところをもっと見せたらいいんです。それを見せられなくて、飲んでたわけだから。その人のいいところをどんどん引き出して、いい生き方ができるよう、ささやかでもお手伝いできればなと。日々一人ひとりの顔が、少しずつ変わっていくのを見ることが喜びというか。ここは私自身が励まされ、生かされている場所なんです。

 

(聞き手・ライター上田隆)

 

 

<問合せ>

NPO法人 Y-ARAN 横浜依存症回復擁護ネットワーク

〒235-0004 横浜市磯子区下町12-15

TEL・ FAX: 045-353-9130

Y-ARAN – 横浜依存症回復擁護ネットワーク

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