「依存症者家族」から「支援者」に

依存症

<インタビュー・ナラン直子たさん>

 

日本を脱して、アメリカで過ごした青春時代

日本がすごい生きづらいというか。型にはめられるのが嫌なんです。どこへ行っても「四角」で、「丸」ではない。ルールがペタペタある。本当に重箱の中に入れられているようで息苦しい。別に意識してたわけじゃないですが、小さい頃からずっと「外に出たいな」という思いがあったのかな。

 

22歳のとき、語学留学の形でアメリカへ。語学学校に席を置いて、アルバイトしながら、フロリダ州で4年間食つなぎました。それから帰国して就職活動。たまたまフランス系のバカンス会社「クラブメット」に受かりまして。研修がマレーシアだったんですけど、就職先がニューカレドニアのリゾートホテルに。夫のロンさんとは、そこの同僚として知り合いました。

 

出逢いは、「天国に近い島」ニューカレドニア

ニューカレドニアは、オーストラリアの東、太平洋側に浮かぶ島で、「天国に一番近い島」と称されます。海のキレイないいとこですよ~。

 

「クラブメット」って、当時流行っていた「オールインクルーシブ」式のホテルです。前金を支払えば、宿泊飲食込みでもう全部遊べる。ビーチやウインドサーフィンなど、いろんなアクティビティがあるんです。

 

私の仕事は、ゲストの子どもを預かり、1日丸々楽しませること。プールに連れて行ったり、お昼寝の時間があったり。親はその間、別に過ごしているわけです。ロンさんは調理師で、レストランで働いている。私は子どもたちを昼や夜に連れていくじゃないですか。毎日顔合わせるうちに、仲良くなったっていう感じ。

 

結婚後の新居は、夫の母国モーリシャス

その後、ロンさんは転勤でオーストラリアのホテルへ。2人ともお金がなかったので離れ離れになり、長距離恋愛に。途中、北海道のクラブメットで合流し、6カ月は一緒に過ごせたかな。そのときはすごく楽しかった。将来結婚に向けてお金を貯めなきゃというので、さらに1年半ぐらい「遠距離」をやって、1999年12月に嫁ぎました。彼はクラブメットを辞め、母国のモーリシャスで一般のホテルに就職し、新居をつくってくれて。

 

モーリシャスは、東京都ほどのちっちゃい、人口100万人ほどの島国。アフリカ大陸の東にあるマダガスカル共和国のさらに東に位置してます。どこからでも海が近い。ヨーロッパ人は、日本のハワイみたいな感覚で、リゾート地であるこの国を訪れます。日本人は少ないかな。

 

新居で生活を始めると、周りはみんな彼の親戚。家は一応別になっていますが、スープが全然冷めない距離に住んでいる。私は、クレオール語という現地語が分からないので、最初は本当に大変だった。でも「愛」が強い。みんお節介で、それで救われたというか。海外から来たというので、色々面倒を見てくれまして。

 

すでにアルコール依存症だった…

今思えば、夫はすでに「飲んでいた」。結婚する前にです。それが「病気」だって気づくのは、だいぶ後なんですけど。付き合っているときって、いいとこしか見ないじゃないですか。もう延々と飲むんですよ。みんなが飲み終わっても、「この人いつまで…」みたいな感じで、本当に寝落ちするまで飲む。

 

サトウキビ業が盛んなモーリシャスは、ラム酒が有名で、安く手に入る。彼もさすがにストレートでは飲んでなかったけど、コーラで割っていたかな。お酒であれば、なんでも飲んでましたが。酔うと、暴力や暴言が激しくなる方ではない。黙って目がとろんとなり、話が通じなくなって、私がイライラするみたいな。まともに話ができなくなるのが一番辛かったですね。

 

たぶん彼の家族は、薄々は知っていたと思います。私がいくら「この人おかしい!」と助けを求めても、誰も取り合ってくれなかった。「そんなことないよ」「いつか飲み終わる」と、みんなが夫のアルコール依存を否認する。それも辛かったです。彼は、全員男6人兄弟の5番目。6人のお嫁さんが全員外部の人。お兄さんたちには、対象が「お酒」「女性」とさまざまですが、依存症的な考えをする人が多い。私は、「依存症家族」と呼んでるんですけど(笑)。

 

家族扶養のストレスも重なって

元々好きで飲んでたけど、やがてストレス解消で飲むようになってしまったのかな。うちは結婚して子どもがすぐに生まれたので、家族を養う責任も感じたのか。依存症になる理由って、本人たちに聞いても、はっきりしたものはないみたいです。どこかに心の痛みがあって、それを埋めるために飲む…。

 

「依存症あるある」ですが、すごく繊細な人がそうなるようです。ロンさんと結婚しようと思ったのは、その繊細なところですよ。私、結構ズボラでもう適当なんですけど、彼は本当によく気が付いたりする。それがお酒によって、すべてが壊れて…。

 

夫の泥酔の日々に、とまどい怒り

私が怒るので、隠れて飲むようになる。洗濯機の裏や洋服ダンスの中とか、空き瓶がいつも出てきて。そのたびに喧嘩に。

 

新居は2階だったので、夜、帰ってきた彼の足音が、階段から聞こえるのが怖かったですね。

べろべろに酔っているときの失禁がすごい。「なんで私は、この人のために、こんな始末なんかしなきゃいけないの!」と怒りがこみあげて悔しかった。

 

でも、仕事は一応行くかな。二日酔いで行けないというときは、私にホテルへ「具合が悪いから」と電話させたり。やっちゃいけないんですけどね。結果的に、飲めるようにお手伝いしてたわけです。

 

お金のことですか?  大丈夫じゃない!  お店へのツケとか、同僚から借りたりで、すごい借金をつくってしまう。言うことを聞く若い部下にも。彼のお給料じゃやりくりできないので、私が日本で貯めた微々たる貯金の中から、1人ひとり頭を下げて返すわけです。ちっちゃい子どもを抱えながら、光がなく、出口の見えないトンネルの中を、ずっとぐるぐると回っていた心持ちでした…。

 

やっと依存症の治療施設にたどり着く

結婚して2年たった頃、長男のお嫁さんが助けてくれて。モーリシャスに依存症の治療施設があると教えてくれたんです。

 

本人を説得して、一緒に施設に行きました。施設長が「このまま飲み続けたら、墓場か家族崩壊が待ってるよ」と彼に宣告。私は「しめしめ、こんなことを言われたら2度と飲まないだろう」と。後で彼が、「この説教、早く終わんないかな。すぐに飲みたい」と思ってたと言うので、「あ~この病気って根が深いな」って。

 

有料ですが3カ月の入所をお願いしたかったんです。でも、彼の勤務先のホテルからOKが出なくて。結局、週2回のミーティングだけ通うことに。

 

家族で過ごしたことを覚えてない

少しは良くなりましたね。連続飲酒に入るスパンが長くなったんです。夫がシラフのときはやっぱり嬉しい。そのときを狙って、家族で旅行に行ったり、食事に行ったり。いつしかそんなルーティーンができていました。飲んでなければ、本当にいい人なので。

 

本人は、家族で過ごしたことをあまり覚えていない。飲んでしまうと、時系列の記憶もメチャクチャになる。子どもがちっちゃくて一番可愛かったとき、父親として子育てできなかったことは、後になってだいぶ後悔しまして。娘が高校生ぐらいのときかな、彼は当時のことを、時間をかけて謝っていましたね。

 

後に、成長した娘が私に言うには、「ママは、いつもベランダで泣いていたよね。なんかパパばかり追っかけてたよ」と。「パパが酔って、超嫌だった」という話は、彼女からは聞かないかな。「嫌だ」と思ってたのは、私だったというか。

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