昨今の子育ての悩みの背後に、「自己憐憫」を主訴にする母親も目立つ
先ほどお話したような理想的な母性例とは対称的に、わが子よりも自分の方をかわいがる代わりに、わが子を犠牲にする向きの母親も目につきます。児童精神科医の集まりでも、次のような話を聞きました。「問題がある子の母親には、自己愛が強くて、子どもどころじゃないケースが多い」と。
例えば、こんな感じです。お子さんは、2年間小学校に行かず、今小学5年生。下の子も行かないと言い出した。相談してきた母親に、「『理由は何?」と聞いたことはあるの?』と質問したら、「ない」って! むしろ、わが子が不登校になったせいで、ママ友を失った自分が、可哀そうだという自己憐憫を主に訴えました。
結構あるのは、中高生になって精神病の病名がついたとき、かえって喜んでしまうこと。「これまで苦しんでたけど、病名が付いて嬉しいです!」とメールが来る。「何考えてんの」って!さらに「学校で人に接していないから、何かボランティアを紹介してくれませんか?」と尋ねてくる。もう怒るしかないでしょ。それに対し私はこう言いますよ。「ボランティアは、自立した個人がやるもの。高校生のお子さんに今必要なのは、腕に技術を付けるなど、生きていくために学ぶことです。それは学校じゃなくてもできるから」と。
もっと言うと、不登校児のママ友たち同士が仲間になって、LINEで密にやり取りしてる。それが誤った情報の発信源になることも。「子どもは、学校行くことで疲れエネルギーを使い切ったけど、しばらくうちにいて、充電できたら行けるようになる」という神話を、バッと広げて慰め合ってる。大人が疲れた話じゃない! そんな風に出回る妄言は見つけ次第、私のところで止めてます。
学校が小児精神科を勧めるのは、違法行為
親御さんたちが陥りやすいのは、お子さんに精神病名がついた後、病院に行って薬に頼ること。お決まりのセオリーです。何にも解決してないし、薬害が出ていることを知ってほしい。
クラスの中で、担任教師の言うことを聞かない、小学1年の子がいるとします。「この子、精神的に不安定だから、お母さん、そろそろ薬使うことを考えませんか?」と、スクールカウンセラーが伝えてくるわけです。校長も担任も言えないので、代理として。そして、「お近くの小児科精神病科クリニックはここですよ」とまでも勧める。本来なら、子どもが病気になった場合、一番最初は、総合診療の小児科に行くものなんです。しかし学校は違う。いきなり小児精神科を紹介する。これは地方公務員法、そして医師法にふれてます。無資格者が、勝手に判断し、特定の医療機関までも斡旋しているから。(私の看護師の立場からすれば、医療者として病名が分かっても、医師に先んじてそれをやれば免許を取り上げられるでしょう。)子どもにいったん薬を投与すれば、医療側のペースになる。「効きませんね、どんどん増やしましょう」「まだ効きませんか? では入院しかありません…」と。だからか、全国の精神科の小児科は、もう満員ですよ!
最近でも、子どもの頃、無理に入院させられた方が、母親と学校を相手取って裁判しています。ネットで少し検索すれば、日本中で、そんな訴訟事例がたくさん出て来ますよ。
ただいま迷走中?! 東京都の「フリースクール」事業
全国の不登校児のママたちが、インターネット上で宣伝してくれてくれたのもあり、「ソフィア義塾」は注目されるようになりました。東京都も「不登校児を対象にしたフリースクール」と認識してか、去年2023年には、毎月「見学したい」と電話が入る。でも、子どもたちを、心ない視線から護るためその都度断ってきました。
それから、「東京都こども家庭庁」が開設した不登校児の「居場所」へ調査に入ったんです。職員に面接して、職を聞いたら、「教員」「心理士」「役所所員」の3種類。教員は、東京都教育員会がテンポラリー(臨時)に雇って派遣した人でした。それぞれに、「なぜ、子どもが、学校に行かないという勇気ある決断をしたか、聞きましたか?」と尋ねたら、「デリケートな部分なので、聞かないことにしています」と。これじゃぁ子どもは、抱えた悩みを、職員の大人に話すわけもない。休み時間、部屋を見学させてもらったら、文具や教科書がある事務机が並んではいる。でも、そこで時間を区切って自習させてるだけのようで、私たちからすれば意味のないことをしてる。
もう1つ、小池百合子都知事のお手盛りでつくった「子供政策連携室」があります。5年前からフリースクールを始めていますが、職員の大半は、東京都福祉保健局から移動した人たちでした。インタビューしても、支援対象としての「子ども像」が、どうもあいまいなんです。なのにフリースクール側は、ここ子供政策連携室に申請すれば、子ども1人につき1カ月2万円の「家庭調査費」を、「東京都教育委員会」の名前で支給してもらえる。費用の名目は、「不登校児は、家庭の状況がつかめない。児童虐待防止のためにも調査してね」というもの。子どもが集まっただけ、お金が集まる。特に技能もいらない。だから、これまで塾に失敗した人も、次々名乗りを上げては「フリースクール」を立ち上げる。「大人は集まるんだけど、どうやって子どもを集めるんですか?」と質問される人もいました(2024年3月時点)。
当初、東京都は、開設を推進してきた「居場所としてのフリースクール」を、今は単なる「居場所」と言い換えている。そして「何の機能もないこと」を、むしろ売りに。特に大手のフリースクールほど、多くの子どもをかかえるので、莫大な「家庭調査費」を申請しては受け取っているわけです。私、それを知って東京都教育委員会に、「あんたたち、何てことやってんの!?」と踏み込んで抗議しましたよ。
私のソフィア義塾は個人経営ですが、東京を中心にやってるわけではないし、その「恩恵」は受けてません。一方で、かつての子どもたちが大人になって、私の手助けをしてくれてます。日本全国から、LINEで新鮮な情報を送ってくれる。こないだも、「北島先生、国会の会計予算委員会で、不登校児をフリースクールに行かせるんじゃなく、学校に呼び戻す政策に予算がついたよ」と知らせてくれて。元不登校児だから、いろんな動きが気になってる。まぁ、国のやることはいつも同じで、まず財源確保しますよね。ただこれで、「フリースクール」「居場所」で盛り上がっていたところは、打撃を受けますから、せいせいした気持ちです。でも、政策としては効果があるのかは疑問。不登校児を学校に戻せる、技量のある人材が確保できているとは思えませんし。
教育基本法の「人格の完成」を、国はないがしろに
不登校児は、「約30万人近く(2023年)」と激増。その背景には、2018年に安倍政権が仕上げた「改正学校教育法」があると考えてます。「愛国心の育成」が盛り込まれてましたが、極論すれば「叱りつけて強制し、国の意向に沿う人格にせよ」と、現場の教師に強いている。放っておけばダメになるという「子ども性悪説」に基づいてますよ。だから、いろんなトラブルが続発してるんです。特に小学1年生が反応し、いじめや学級崩壊、校内暴力などがもこれまでになく増えている。教師は、改正法の理不尽さに気付いているはずだけど、国の方針に異議を申し立てようとはしません。
「国家の必要に応ずる」人の養成を目的とした教育体制は、1886年(明治19年)、初代文部大臣の森有礼が発議して始まりました。以降、「教育勅語」に引き継がれ、終戦まで続きます。戦後、成立した「教育基本法」が目的とするのは、「人格の完成」となりました。でも、高度経済成長の中で、国家主義と経済至上主義が、日本の教育をゆがめていきます。それは、国や社会に役立つ能力を持つ集団を、画一的に養成しようというものに変わっていく。現在の岸田政権は、その方向をさらに強めようとしています。改めて立ち返るべきは、教育の本来の目的が「人格の涵養」ということ。つまり教育とは、「国」でなく「個」のためのものであるはず。
被災地から始まる真の「学校再生」
私が、こうした教育の現状を変えられ可能性を感じたのは、「被災地」なんです。東日本大震災では、津波で流された学校を、なかなか復興できませんでした。そこで2015年、「震災復興における学校の再生/学校づくりはまちづくり」(文科省)の支援法が出される。地域の人の手に再建をゆだねるもので、次々と学校が息を吹き返しました。その後、熊本県や大分県の被災地にも、同法が生かされます。私は、地震と大雨の水害に見舞われ大分県別府市を訪問。その復興の様子を、市長はじめ関係者にお聞きして、とても感銘を受けたんです。
地域で大活躍していたのは、保健師さんです。日頃、学校区ごとに地域を担当していて、国家資格として家庭訪問ができる。住民から「あそこのお母さん、最近姿を見せないから行ってみて」と知らされると、さっと様子を見に行く。すると、お母さんがダウンし家事不能でいたとする。迅速に対応して、お子さんへのサポートも学校と連携して行う。学校と多職種が協働して地域を支える、まさに「教育ケア」が実践されていました。
当然、被災地では、通常の授業が進められる状況にない。「この機会に、大分県独自の教育カリキュラムをつくろう」と、教育学者の齋藤孝さんが中央教育審議会で提案して、それを実現していきました。文部省の言いなりになるのでなく、「地域だからこその特色ある教育があっていい」という先例をつくったわけです。
核心は、ナイチンゲールの「God’ Low(神の法)」
「教育ケア」の核には、ナイチンゲールの思想があるんです。彼女は、看護師にとって、今もお手本の偉人。でもその思想は、日本の医療界では正確に理解されているとは言えません。「科学的思考」においては、「患者からのデータを積み上げること」に終始したりする。そうではなく、「患者の状況を、総合的に判断分析して、計画的なケアを考えること」なんです。もう一つは、キリスト教徒に基づく一神教の思想が、翻訳もされず抜け落ちている。ナイチンゲールが強調するのは、科学的なデータを集めれば、「宇宙の法則」をつかめるということ。それを「God’ Low(神の法)」としています。この世にある物質元素は、すべて星々の大爆発から誕生したもの。私たちの体の素材も構成し、「命」を育んでいる。「God’ Low(神の法)」によって成り立つ「命」は、あるがままで必要なものが備えられている。「病気」は、そのつながりが途切れるから起こる。「看護ケア」とは、科学的思考でとらえた「宇宙の法則」に沿って、つながりを回復させる仕事なんです。
では、教育とは何か。「God’ Low(神の法)」を子どもたちにつなげて、その命を健やかに育て、輝かせることでしょう。教育とは、本質的に、教師と生徒1対1の対話による交流なんです。生徒は、向かい合った教師のまなざしの向こうに「神」を見る。そして、教師も生徒のまなざしの向こうに「神」を見る。大きな存在に包まれて、共に成長する…教師って、聖職なんです。
(聞き手・ライター上田隆)
<問い合せ>
ソフィア義塾(日本教育ケア協会)
東京都新宿区高田馬場3-8-10 1F
TEL/03-3364-1825
E-mail/shiny-wisdom.sophia@kyoikucare.jp
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