校長の仕事は、子どもの話を聞くこと

名教師
校長は、地域のボスと仲良くなれ

校長は、「歩く広告塔・営業マン」。対応すべき会や行事を挙げれば、もちろん「多忙」ですよ。校内では、職員会議、運営委員会、PTA、地域懇談会、年間行事など。地域では、青少年地区委員会、保護司連絡会、関連学校の行事、町内行事など。区内では、校長会、教務主任連絡担当会、PTA連合会、連合行事など。区外では、都・関東・全国各々の校長会など…。でも、逆に言えば、校長は、いろいろな場面でさまざな人たちに、自分の学校のことをアピールできる機会を持てる。これはチャンスなわけです。

 

僕は地域にもどんどん入っていきました。千住にある足立三中では教頭でしたが、地区内の銭湯回りをしてましたよ! 近所のおじいさんの背中を流しながら、「うちの学校の子は良い子ばかりなんですよ~」なんて言いましてね。東島根中の校長のときは、よく町会長の畑を手伝ったんだから。「芋掘り、お願いできる?」と電話で頼まれれば、「分かりました!」とジャージにさっと着替えて駆け付けました。後を任した教務主任や生活指導主任は、「えっ、芋掘りですか?!」と口をあんぐりしてましたが。地域の各ブロックごとに、町内会長などのボスがいます。その方たちと普段から、親しく付き合う。学校についても、「褒めなくていいので、『こうしてほしい』という願いを本音で語ってください」とお願いしたもの。

 

今、足立区は、学校に対して「学力向上」を推し進めています。学力が23区内で最下位を争う区だからしかたない。でも、当の子どもたちは、「学力」や「受験」の方にシフトすると、なかなかしんどい。むしろ「部活など、勉強以外の活動で頑張りたい」というのが実際の気持ちじゃないでしょうか。地域のボスたちは、そうした子どもたちの想いを集約し、行政に方針転換を迫ることができる存在なんです。だから校長は、彼らと意思疎通をはからないといけない。学校は、地域の支えがあってこそ成り立つわけですし。

 

校長同士も連携しないとね。僕が校長時代は、足立区内で学力が5本指の学校の校長たちと切磋琢磨しましたよ。お互い良いところを盗んで学び合ったもの。校長会はブロックごとにあるけど、そんな垣根は超えて仲間づくりするべき。

 

「学校運営委員会」は、「地域との協働で学校づくりをしよう」という会。委員は、校長を筆頭に教員・地域の有力者・保護者の、いわゆる「3者」です。でもそこには決まって一番声を反映すべき「子ども」がすっぽり抜けてる。本来なら生徒会代表を入れて、「どんな学校にするか」を提案してもらえばいいのに。これは、いつも思いますね。

 

JICAが支援したアフリカの教育に学ぶこと

地域コミュニティと学校の理想的な関係が、なんとアフリカにあったんです。これはいいモデルだなと。先日、学校運営委員会で、「アフリカの教育状況」を考える会合に参加しましたが、面白かった。日本の学校教育が、アフリカ・サハラ砂漠の南で定着してるそうです。JICA(国際協力機構)の小池文恵さんが、「みんなの学校プロジェクト」について報告しますが、彼女自身自が3年間かかわられた。2004年にニジェールの23の小学校から始まったJICA活動ですが、現在、西アフリカを中心に、7カ国約4万5千校で実施されています。アフリカでは、学校は通常エリート養成校で、多くの地域住民には遠い存在。識字率が低い。そこでJICAは、民主的な委員会を立上げ、メンバーを選出したんです。彼らを中心に保護者や地域住民が、地域の資源を使って、学校を手づくりしていきました。

 

注目したのは、その地域ごとの部族が、「自分たちの子どもたちに、どんな学校や教育が必要なのか」を話し合って、協力していったことです。子どもたちも、自分たちの学校で学んで、ゆくゆくはフランスに留学し、また故郷に帰って貢献したいというビジョンを持ってる。地下資源がある地域ですから、将来優秀な人材となって、それを生かして国を豊かにするでしょう。日本の学校こそ学ぶべきことがあると思いましたね。われわれの国は資源もなく、少子化しているので、もっと状況が厳しいかもしれませんが。

 

一番気になったのは、彼らの信仰かな。欧米の帝国主義の国々が、植民地時代に遺したキリスト教です。地域社会の中心には教会があり、コミュニティの軸となって部族をまとめている。個々がバラバラになってる日本の地域社会にも、そうした精神的な柱があればいいのになと。もちろん日本の学校に、道徳や宗教的なものを導入することは賛成できません。かつてわれわれには、「向こう三軒両隣り」の気風がありました。隣のおばさんが「これ食べてよ」と持って来て、またこっちも手づくり料理をお返しする、という。そんな温かい地域社会のまとまりを、どこかで意識的につくっていかなきゃいけない気はしています。

 

「ムキになれる」校長を選ぶ

学校は地域の要。だから校長の役割は、地域にとって小さくない。それに学校は、校長自身が変われば、ガラリと変わります。ただ、思い切ったことのできる校長が、なかなかいないばかりか、なり手が自体が少ない。僕は校長試験の面接官もしましたけど、「役職自体に魅力がない」と思われてることを感じましたね。忙しいし、責任が重いし、地域の人から足を引っ張られることもある。1人の親御さんのクレームに悩まされ、辞めてしまった校長を知ってますよ。もう給料をびっくりするほど上げて、「楽しい学校づくりを任せます」と権限も大きく与えればいいんだ。それくらいしないと、なかなかねぇ…。

 

面接官として選ぶ基準?…なんかね、ムキになれる人!   自分のやりたいことが、はっきりあって、それにこだわって一生懸命やれる人。これは教師全般にいえることですよ。学力が優秀なだけで熱量のない人は、教師になってはダメ。その学校が不幸になる。子どものハートに火をつける人こそ、教師向きです。

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