【質疑応答】
橋本/足立区にとって「山谷」はお隣なのに、荒川・墨田区・台東区にまたがる地域という意識が強いのか、あまりかかわってこなかったところがあります。こんな形で山谷の仲間がつながるのは、とても意味深いですね。
異国の戦地で感じた「存在意義」
大山/後藤さんは、戦場で写真を撮ってこられ、きちっとした「自分の画像」をお持ちだろうなと。今の子どもたちは(若者たちや大人もそうですけれど)、どこかに自分の「居場所」を求め、そこで認められたいという「承認欲求」がある。私が長年付き合ってきたある子が「大山さん、私たちね、光当たったことないよ。舞台に上がったことないし、学校でいる場所がないし」って。小中校を通し「地獄」にいるような思いで、ずっと過ごしてしまう。管理する大人たちは、そんな子どもたちの思いを全部排除している。「生きている証」をどこかに求めるけど、見つけられないことが、今の「貧困」の原点じゃないかな。答えるのが難しいかもしれないけど、人の「存在意義」ってなんだと思う?
後藤/素晴らしい質問ですね。世界を巡り、困難な状況に置かれている人たちとたくさん出会いました。20代の頃、戦争の取材で、南米のコロンビアの山奥に行ったときです。兵士たちが粗末な小屋で、野生動物を捕獲しながら生きている。当初「中国人」と間違っていましたが、とにかく日本人の僕を、すごく迎えてくれました。貴重な水と食料を別け与え、自分のベッドまでつくってくれて。普通、ギリギリの状況では、人に与えることなんてしない。でも、遠くから来たお客さんには、自分が食べなくても、もてなす。そうした、人に対する思いやりや、困った人を助けるという心は、この人たちが、ずっと受け継いできたことかもしれない。答えが違うかもしれませんが、人に与えることによって、自分の存在が少し感じられる…人を幸せにして、自分を幸せにする…ことなんじゃないかなと。
たぶん、今の時代は、自分の個性を生かす仕事を見つけることが、すごく難しい。物や情報が、あふれているからかもしれない。例えば今、世界の裏側で起きていることをインターネットで瞬時に分かるから、実際に行って確かめようと思わなくなる。そういうことで、チャンスを逃してしまう。「後藤さん、20代の頃、戦争している知らない国に、よく行きましたね」と言われることがあります。当時はSNSもなく、情報がなかった。だから行けたわけです
「一瞬」を写真に刻む意味
G(一般参加者・女性)/山谷の写真を撮っても、時間が経つにつれ、実際の風景は変化したり、人が亡くなったりする。後藤さんにとって、「今」という一瞬を写真でとらえるとき、どんなことを考えられているのかなと。
後藤/ムービー、動画だと、ずっと経過していく「時間」を撮るわけです。でも、写真だと何百分の1の「一瞬」をとらえる。その方が自分に合っているというか。山谷で活動して以来、何名か亡くなった人もおられますが、僕はおじさんたちの今を、「遺影」として撮ってるところがある。また、カメラを手にするメンバーたちには、自分自身の「人生のアルバム」をつくってほしいなと。人間ってやっぱり、歳をとるといろんなものを失っていくんですよ。失ってこそ分かる大切なものを記録すれば、「記念」なる。そこに生きた証がある…。
「撮影した写真は、全部残して」
田中(第1部の講演者・生活相談員)/「友愛会」の僕も、後藤さんの「山友会」と同じ山谷で活動していますが、街全体が高齢化して、「看取り」まで付き添うケースが増えている。感じるのは、僕たちは今、「街全体を看取る」段階になってるのかなと。それでも山谷の混沌としたエネルギーは残っています。先ほどの山谷のみなさんの写真を見たら、「町が死んでいくんじゃなくて、変わっていくのかな」という気がするんですよね。
昨年12月の表彰式に参加しましたが、その時、後藤さんからアートプロジェクトのお話を聞いて、すごくびっくりしたのは、メンバーに写真の削除の仕方を教えてないということ。「全部残すように」と。あれだけ多忙な後藤さんが、撮った写真をすべてチェックして、表彰式やって、もう大変な労力だと思います。メンバー自身が撮り損なって、「これ消したいな」と思う写真もあるでしょう。プロの写真家の目から見て、写真を評価する仕方が違うのかなと思いました。
後藤/最初に言い忘れたんですけど、このプロジェクトを始めるにあたり、個人的な動機もあったんです。その頃、写真業界にすごく落胆していたというか。特に日本では、「この写真がいい」というのは、有名な人が「いい」と言ったら、そうなる。「海外から輸入された何億円の写真だから、これはいい」と評価される。一般的に言えることですが、価値観って、自分で持っていない人も多いと思うんですね。メディアの写真も、それがいいか悪いでなく、ニュース性だけで流通して、みんなが目にすることに。
自分にとって写真とは、「思い入れのある対象を撮って伝える」というのが基本なんです。アチェの被災地やビルマの難民、311のプロジェクトにしてもそう。「貴重だ」と思って、「記録したことを人に伝えたい」から写真を撮る。山谷の写真ですが、「有名な雑誌に載せる写真に比べれば、ぶれてるし、構図なんて全然よくない」となる。だけど、そういうもんじゃない。Misaoさんが撮った写真は、もうあれで素晴らしい。猫のイラストが描かれたティッシュの上に、彼が夜食べるコンビニのパンが載ってる。もうなんか、それ以上のものというのは、表現できないというか…。新聞の一面に載るようなキレイな写真より、その人が撮った個性だったり、その人の撮った意味だったりを重視したいという思いがずっとある。だから、削除すると、もう大変なんです。断片化してしまうから。「後藤さん、これ見てよ。つまんないだろう」とバババッと消し出すと慌てて制止。そして言います。「自分がカメラを向けたいと思って撮ったものは、すべて記録として残してほしい」と。
「その人らしさ」という存在意義
N(福祉施設職員・男性)/今聞いた話で、腑に落ちました。世の中の写真コンテストだと、グランプリを狙うとか、競争や優劣の視点がある。でも山谷のアート・プロジェクトは、その人らしく撮ることに意味があって、その人が「そのままでいいんだよ」と認められる感じが、すごくいいなと。削除しないことで、その人の生きるプロセスを見れる。それが「存在意義」かもしれないのかなとも。最初に聞きたいと思ったことですが、後藤さんに褒められようとして、なんかおかしくなった、自分らしくあることを忘れるような撮り方になったケースはありましたか?
後藤/撮った写真に、アドバイスを求められることはありますね。例えば、「夜景を撮るときは、もっと早い時間がいい」「アップにしたら」など伝えることで、言われた方は、撮り直そうと再びその場所へ行くじゃないですか。それをしてほしいんです。アドバイスが、本人の向上心につながればいい。コンテストを毎年やるのも、「去年よりいいものを撮りたい」という気持ちを掻き立てるでしょうから。大賞をとった人は、ニヤッとしてますよね。「この賞は俺が…」という燃える心はあった方がいい。
山谷の「自前のシステムづくり」にヒントあり!
橋本/そろそろ時間です。「貧困」は、こちらから見ての「貧困」ということでなく、本人のための言葉であると思いました。やはり不平等の再配分が問題だとも。今回のテーマは「貧困を語る」。「今更語ってどうすんの?」って声が聞こえてきそうです。でも、フレームインしなくちゃ、見えないこともあるんだろうなと、最後に思いました。
大山/本日は、「山谷」という地域に大きくポイントを絞らせてもらいました。私はもう70歳過ぎていますが、生まれ育ったのが浅草の下町(台東区今戸)。子どもの頃、山谷が近くて、ドヤ街の清川で買い物し、いろは通りを「怖いな」と思って通ったもの。山谷の日々の暮らしは土着的だけど、昔から、人が生きて行くためのシステムづくりを自前でやる。今でもそう。「社共(社会福祉協議会)」とか「包括(地域包括支援センター)」とか全部乗り越えて、「ヘルパーステーション」を、現場のみんなが力を合わせて立ち上げてしまう。今、社会が変わろうとしているけど、どう変わったらいいのか分かんない。混迷している状況の中、若い人も経験値がある人も、情熱的な何かに突き動かされ、今必死に動いている。でも、地域コミュニティが、社会が、動かないですよね。それを動かすヒントが、山谷にある。これは本当に、日本全国が学ばなきゃいけないことだなと。
「誰もが居心地のいい社会になれば」と思いながら、橋本先生と「あだち子ども支援ネット」の活動をしてきました。またこれがきっかけになり、「日本中に、ホットステーションがいろいろな形で、出来たらいいね」とも、いつもお互い話しています。今回「貧困」をテーマにしたこの1年の活動を振り返ってみました。子どもたちから言わせたら、「自分の家が『貧困』なんて思ってねぇし」。「貧困」っていう言葉はいりません。それは社会が押し付けた言葉です。だから大人たちが、もっと納得できる「言葉」「社会」をつくれるように動いていかなきゃいけないんだろうなと。本日は、会場に来られた方、そしてオンラインで参加された方、本当にすごいメンバーが集まってくださいました。みなさん、ありがとうございました。
(文責/ライター・上田隆)
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