「写真」で、トラウマ乗り越えて

アート

<インタビュー・後藤勝さん>

写真のテーマは、「山谷で暮らすおじさんの日常」

2010年に、住んでいたタイから帰国したとき、日本で社会問題にかかわるNPOで働きたいと思いました。たまたま墨田区に引っ越して、自転車で15分ほどのところに山谷があり、山友会にかかわることに。同会は元々、日雇い労働者向けの無料診療所の運営が主な活動内容でした。やがて路上生活者なども支援し、炊き出しや生活相談も行います。今、おじさんたちの高齢化が深刻ですね。

 

僕が写真家だったことから、スタッフと「何か、写真でやらないか」という話になりまして。話好きもいますが、たいていのおじさんはしゃべんない。だから、写真で表現するのはいいんじゃないかと。声をかけると7人が集まり、2015年、「山谷・アート・プロジェクト」が結成されました。現在、メンバーは、40代から70代までの10人。

 

当初から、「日常を撮ってほしい」とススメています。山谷のおじさんたちの暮らしを、山谷以外の人に伝えたいという思いがある。またその写真が、僕にとって新鮮なんです。部屋のテレビ、冷蔵庫、食べかけのご飯、といった、何かもう男の一人暮らしを撮ってほしいと。本人にしたら、こんなみすぼらしいもの…と。でも励まして、カメラを向けてもらってます。飽きずに続けていくために、「一番大切なモノ」「友だち」など、こちらからテーマを出すことも。

 

深い「孤独」が、奔放な「表現」に変わるとき

これは、KOJIさん(40代)の作品。斜めの東京スカイツリーやタンポポのアップの写真は、スマートフォンで撮ったもの。元々一眼レフが趣味だった人だから、被写体を見つければ、納得するまで何度も取り直す。彼はコロナ禍で、派遣の仕事を失い、2~3カ月、路上生活したそうです。100円ロープを買って、自殺を思いつめていたとき、偶然に僕が相談を受けた。「まずは、体調を治しましょう」と言うとホッとされ。写真部には、ご自身から参加されました。

 

「猫のおじさん」のMISAOさん(60代)は、猫ばかり撮る。一匹一匹の表情、個性をよくとらえるんです。やはり彼も、路上生活の経験者。ある寒い日、自転車置き場で横たわると、底冷えがする。一匹の猫が毛布に入ってきて、一晩寄り添ったそうです。それ以来、猫を可愛がるように。猫も分かるのか、自然と寄ってくる。だから僕は、「毎日、猫を撮ってください」と。彼の印象的な言葉は、「人は裏切るけど、猫は裏切らない」。

 

この写真に写ってる看護師さんは、「訪問看護ステーション・コスモス」の人で、DAIMON(50代)さんが撮影。彼は、4~5年前まで、会社経営してましたが、心の病ですべてを失いました。生活保護を受け、山谷のアパートで一人暮らしをしますが、部屋に引きこもってしまう。心配した看護師さんから、「後藤さん、何か写真やってませんでしたっけ?」と声をかけられ、DAIMONさんに「カメラはどうですか」と。「まあ、できるかな」となりまして。週に何回か部屋に来る看護師さんを撮ることをアドバイス。部屋の掃除とか、薬を入れる様子などを写されるうち、看護師さんも楽しんでくれて。やがて「DAIMONさん、明るくなった」と教えてくれました。彼は、写真部の月1回のミーティングにも、積極的に参加するほどに。

 

写真作品を通して、その人の存在を迎え、たたえる表彰式

2022年12月23日、「山谷・アート・プロジェクト」の表彰式を行ったんです。山谷の支援者、福祉やメディア関係者、一般市民など、さまざまな人たちが会場に来られました。作品を多くの人に見てほしいという思いがあり、選考には力を入れまして。まず、山友会のウェブサイトを通じて作品を「投票」。その後、候補作を、支援者やメディア関係者などが審査し、参加したすべてのメンバーに、各々の賞を受賞してもらいました。

 

審査員のみなさん、正直に感想を書かれる。いい加減に選んでない。例えば、DAIMONさんが撮った看護師さんの写真などは、プロ受けするんです。福祉の現場を、当事者目線でとらえた貴重なドキュメントになっていますから。KOJIさんの作品にしても、技術的なクオリティの高さが評価されました。どの人の作品も、型に縛られず、その人の感性が素直に表現されているところが魅力なんです。

 

すでに仕事を引退し、家族とも離れ離れの山谷のおじさんは、人に認めてもらう機会が極端にありません。「すごくいいね!」「これ、どうやって撮ったの?」と、その写真を褒められると、ひどくビックリする。「本当にそう思いますか?!」と。それが「次に何か面白いものを撮ろう」というモチベーションになる。表彰状をもらい、みんなから拍手を受ける…もうそれだけですごいと思うんです。本人たちの顔は、恥ずかしそうな反面、誇らしげでした。賞状は、部屋に飾ってくれてます。自身の写真が認められる、イコール、その人の存在をみんなが拍手で迎える。そんな経験をしてほしかったんです。

 

依存症の「回復目指す人」を写した写真で、社会との接点つなげたい

最近では、NPO法人Y-ARAN(横浜依存回復擁護ネットワーク)でも、写真プロジェクトを立ち上げました。依存症から回復を目指す参加者の人を、僕が撮影をするものです。

 

施設の一間に撮影用のライトと背景をセットし、簡易的なスタジオをつくる。そこで、参加者の人たちは、好きなポーズを取り、好きな仲間と写真に写ってもらいます。みなさんの表情は、本当に個性豊か。「スタジオで撮影されたことはないよ!緊張する!」と口にされていましたが、その緊張感が良い表情を産む。

 

写真がまとまったら、最終的にアルバムにする予定です。いつか世界中の人々に、そのアルバムを見てもらいたいですね。参加者の彼ら、彼女たちは、小さな病を心に抱えているだけで、他の人々と変わらない。撮られることによって自身の存在を自ら感じ、社会との接点にするためのプロジェクトなんです。

 

1番の目的は、社会に定着する「依存症」のイメージを変えることです。

特に日本の社会では、依存症というだけで「駄目な人」「怖い人」と多くの人が思っている。山谷で10年以上相談員をしていますが、ここにおいても、僕が出会った依存症を抱える人々は、逆に僕のことを気遣ってくれる優しい人たちばかりでした。

 

依存症問題に対して、写真家としてアクションを起こしたいという思いは、山谷での経験が影響しています。数年前知り合いの孤独死の現場に出くわしました。その人は畳に上向きで倒れていて、周りには、酎ハイの空き缶が数百個以上散乱していました。真夏で蒸し暑く、彼の体は腐敗していました。そして昨年一人のアルコール依存症の人がいて、立てなくなるまで飲み続け、死ぬ前日に僕が病院に運び、ベッドの上で亡くなりました。それ以上何も出来なかったのです。何度も彼は回復を目指しましたが、孤独には勝てませんでした。彼の死は無念でした。

 

Y-ARANでのスタジオ撮影はポートレイト(肖像)で、真正面から撮ります。多くの人々に、その人たちの姿を見てもらいたい。同じ人間なんだということを、分かって欲しい。

 

長い人生の中、誰でも必ず、道を外すことがあります。その時に、その人を受け入れてくれる寛大な社会が必要なのです。写真は、問題を可視化するためのツールであり、社会を変えるための最も重要なツールでもあるのです。

 

ミャンマーの難民キャンプで始めた「子ども写真プロジェクト」

写真を使ったプロジェクトに初めて取り組んだのは、2000年です。タイのバンコクに住んでいた頃で、タイとミャンマーの国境にある難民キャンプで働いてました。アメリカのNPOで活動記録を担っていたんです。物資を運んでいる様子、学校の日常なんかを撮影していた。そのNPOが難民キャンプの子どもたちにカメラを渡して、自身の生活を記録してもらうことに。まだフィルムでしたけど、すごく良かった。ジャングルを切り拓いてつくられた建物、地雷で足を失った老人…。プロのカメラマンである僕らが時々行って撮るより、24時間そこにいる子どもの目から通した写真が、とてもリアルなんです。

 

「写真」でトラウマを乗り越えた被災地アチェの少女

次がインドネシアのアチェ州。2004年のスマトラ沖大地震で、津波のあった後、16万人以上が犠牲になり、僕の友だちも被災しました。何か被災地で役に立つことができないかと、ミャンマーでの経験をヒントに、被災地の子どもたちにカメラを渡し、交流を深めるプロジェクトをやることに。

 

印象的だったのは、12歳のアナという少女です。彼女だけが自身のベッドが流されて助かり、家族が津波に飲み込まれていくところを見てしまう。最初は心を閉ざして、何もしゃべらない。ある日、「何か一番大切なもの、記録に残したいものを撮ったら」と伝えてみた。しばらく姿が見えず心配していたら、ひょっこり現われ、撮影したフィルムを持ってくる。現像してプリントすると、瓦礫だらけの荒れ野が写されていた。彼女の家があったところです。「これまで怖くて行けなかったその場所に、何とか足を運んで撮った」と言います。

 

ユニセフ(国際連合児童基金)で、被災した子どもたちをケアする人がいました。彼は、こう話します。「紛争地では、自分の親が殺される場面を絵に描くことがある。子どものトラウマは、しっかり向き合わないと、一生心の奥に消えずに残ってしまう。絵を描いたり、話したりすることで、乗り越えられる」。アナのことを話すと、「まさに写真を通して、自らそれをやり抜いた」と感心。発表会の日、彼女は、みんなの前で、「家族と暮らした大切なこの場所を、記録に残したかった」と、堂々と語りました。カメラが、トラウマを乗り越えるためのツールでもあることを、僕も改めて気づいて、発見というか。そして、子どもと写真は、とても大きな可能性を秘めているなと。

 

「3・11被災地」を記録し続ける意味を、子どもたちが理解

東日本大震災では、「3/11キッズフォトジャーナル」に参加しました。岩手、宮城、福島の小中学生が自ら被災地を撮影し、写真と文章で発信するプロジェクトです。福島の仮設住宅に住んでいた子ですが、被災地をずっと撮っていた。その理由は、「故郷を離れた友だちに見てほしいから」と話します。岩手の子は、「自分の街が、だんだんと復興する様子を残したい」と、通っていた学校が再建していく過程を写していました。

 

新聞の一面に載るような写真ではないけど、記録として残す、ということが重要なんだと思います。子どもだからこその素直さ、興味津々な心の動きもいい。「なぜ自分たちが、カメラを持って被災地を撮るのか」という意味を、子どもたちは理解してくれました。

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