構想あり!「地域と福祉をつなぐ複合施設」

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<インタビュー・磯部夕子さん>

 

わが子に受けさせた発達障がいの検査は「グレー」

2人の子どもは、幼稚園ではなく、「うめだ・子供の家」(社会福祉法人からしだね) に行かせました。モンテッソーリ教育法に基づいた保育園です。でも、上の子が小学校に入ったとき、「どうも、おかしいぞ」と。元々コミュニケーションが苦手な子だと思っていましたが、やっぱり学校でつまづく。2歳下の子も兄と似ていました。この子の方が、先に「子供の家」の先生のアドバイスを得て、「うめだ・あけぼの学園」(社会福祉法人からしだね)に通わせ、「療育」(発達支援)を受けました。

 

1年後、上の子は2年生後半のときに足立区の学習センターで、下の子は年長のときに「あけぼの学園」で、「支援が必要か」を検査してもらったんです。結果は、ともに「グレー」。「支援学級か、普通学級かは、お母さんの判断次第です」と言われたので、とりあえず2人とも普通学級に行かせました。

 

子どもが熱中する「夏祭り」に出会い、10年間かかわるも…

「あけぼの学園」の療育で得た知識からも、特に上の子に関しては、「人と接する場所に連れ出さないとダメだ」と、感じていました。私自身も、人付き合いが苦手な方ですから、いろんな所に行って相談したり、愚痴を聞いてもらったりしている。なおさら「子どもには、学校以外の場所が必要」と。そう思い始めていたとき、地元・足立区島根の子供会が、ベルモント公園北側「児童遊園」で開催する「夏祭り」にかかわることに。

 

当時、何百人も集まり、勢いがすごかったんです。うちの子も含め、地域の子どもたちが大喜びで参加。私も、地元子ども会の会員としてサポート。何年もすると、こちらの顔を覚えていた子が、「あっ、夏祭りのおばちゃん、今度いつやるの?」なんて声をかけてくれるのが嬉しくて。

 

10年を経て、下の子が中学生になった頃、主催する子ども会が「夏祭り、やめます」という話に。会で運営するのが負担になったんです。私は一会員だったので、「そうですか、残念です」と言うしかない。「子どもたちには、絶対必要なんだけどな…」と思いつつ。

 

子ども会の解散がきっかけで、「キッズサポート」設立

やがて、自分の子が高校生になり、現役ではなくなっても在籍し、子ども会をお手伝いしていました。すると今度は、会自体が存続できなくなりまして。子どもの習い事がある、お母さんたちが仕事で忙しい…などで、やめる人が増えたんです。お子さん自体減ったこともある。それで、「やっても意味ないよね」みたいな空気に。

 

ただ、月1回、定期的に継続していた資源回収の事業はどうするのか。これまでその活動で得た足立区からの報奨金を元に、夏祭り、遠足などのイベントを開催してきたわけです。「ここでやめたら、ゴミはただ捨てられるだけ。もったいないな」と思う。そこで、「誰か、継続してもらうことはできないですか?」と、地域のママ、元子ども会の人、婦人会の人たちにお願いしてみたんです。でも、やってくれる方がいない。「じゃあ、自分で続けるしかない」と決心しました。

 

子ども会が解散した2014年、任意団体「梅島キッズサポート」を設立。夏祭りをやめて4年経っていましたが、それを復活させることが目的でした。

 

「梅島キッズ夏祭り」が、地域の大人と子どもに受け入れられる

「梅島キッズ夏祭り」の第1回目を、同年7月、以前と同じ場所、ベルモント公園北側で開催。約200人の子どもたちが集まったんです! 梅島小学校と梅島第一小学校にチラシを配布すると、前の祭りを覚えているお母さん、大きくなった子どもたちが来てくれまして。「あ~、復活できて本当に良かった」と。次の年も盛り上がり、3年目になると足立区から「公益活動げんき応援事業助成金」をもらえるように。

 

夏祭りでは、いつも楽しい店やイベントが、公園内に並びます。「アダチアクションアカデミー」の子どもたちによる「忍者ショー」。地域企業さんより提供の景品が当たる、ママのための「ママくじ」。「民間学童保育室CFAKid」の子どもたちが考え、運営したゲームコーナー…とさまざま。地域団体はほかに、パークエンジェル、がきんちょファミリー、大衆芸術開拓組合、リエゾン・アダチなどが参加。地域の企業にもたくさんのご支援をいただきました。

 

公園内では基本的に売り買いはできません。そこで、1個350円のメダルを、夫の美容院と隣のお茶屋さん、パン屋さんの3店で事前販売。当日、首にかけたメダルを見せれば、店の催しを楽しめる。

 

スタッフのボランティアでは、大人も子ども共に募集。「有償」にこだわって、大人は2000円、子どもには500円(またはメダル)を支払いました。毎年、ママと一緒にボランティア参加してくれる子も。そんな子どもたちの中から中国ルーツの子が、「足立区善行青少年顕彰」に選ばれたのはとても良かったなと。

 

こんなこともありました。店で冷やしていたラムネを大人が空けていると、やり方を子どもたちが覚える。やがてその子たちが集まって、さらに小さな子たちのラムネをわいわいと空けていました。地域の大人と子どもたちが出会いかかわりあうことが、この祭りの一番の目的なんです。

 

軌道に乗り、地域にも「キッズ夏祭り」の名も浸透した6年目の2020年以降、あのコロナ禍で開催中止。何とか再び開催したいと、模索しています。

 

放課後デイと高齢者介護で、「自立支援」の意義を知る

2014年にさかのぼりますが、「梅島キッズサポート」を設立したタイミングで、仕事を変えました。上の子が高校生、下の子が中学生のときです。子どものことで「発達障がい」について関心を持っていたので、「放課後デイサービス(以下、放課後デイ)」をやってみることに。当時、発達障がい、知的障がいのお子さんをサポートするこの仕事は、まだポピュラーではありませんでした。しかし、資格がいらない、勤務時間も融通がきくということもあり、その会社に就職。働きながら、NPO「足立キッズクラブ (知的障がい児者活動グループ)」代表の中澤俊一郎さんが行う勉強会に参加し、子どもの障がいについて学び始めもしました。

 

高齢者介護にもかかわります。「初任者研修」のことを知り、取得したいなと考えている頃、地域活動で出会った、NPO法人「スマイル・エイジングパートナー」(認知症対応型通所介護事業所・若年性認知症特化型)の代表・荻田佳奈枝さんに声をかけていただいて、そこで働くことに。ダブルワークをしながら、初任者研修も取得させていただきました。やがて、放課後デイはやめて、高齢者介護に専念。同時に、訪問介護の会社にも入所し、「行動援護」も経験しました。認知症の人に接して感じたのは、発達障がいや知的障がいの子どもと重なる面があるということ。

 

今、「自立支援」って、すごく言うじゃないですか。私は、荻田さんのところで、初めて理解できたのですが、「支援」とは、やってあげる「介助」ではない、自らやろうとする「自立」を助けることなんだと。これまでの自分の子育てでも、頭では「自分でやらせること」が良いと分かっていましたが、実際にはできていませんでした。

 

さまざまな仕事を経て、自分が本当にやりたいのは、障がい児支援だと気づきます。最終的には、放課後デイの施設を立ち上げたいと。また、夏祭りでの経験からも、障がいあるなしに関係なく、子どもは地域とつながってこそ成長できると実感。「福祉」と「地域」がつながった施設ができないかという構想が膨らみ、いろんな人に話してみました。

 

提案受け入れるワーカーズコープに「居場所」を見つける

訪問介護の会社は、代表の方と意見が合わず、1年で辞めました。そのとき、子ども会で一緒に活動している友人が、「あなたのやりたいことができるかもしれない」と、「ワーカーズコープセンター事業団・ワーカーズコープ青井」に、誘ってくれまして。働くみんなが出資して組合員となり、話し合って運営していく「協同労働」を行う組織なんです。

 

ちょうど足立区青井に、「就労継続支援B型」(雇用契約を結ばず、就労困難者が働く)の2号店を出すので、施設内でパンを焼き、お菓子をつくれる人を募集していました。ベイカリーカフェで働いた経験があったので、やってみたいなと。

 

ワーカーズコープでは、「全員ミーティング」が基本なんです。事業所の中で、月1回行う。例えば、経営が議題となれば、これだけの収入、人件費があって、利益率は何%というのを全部オープンにして議論。所長が独断で「こんなことがやりたい」と言っても、みんなが納得しなければNGに。一方で、入所したばかりの私でも自由に提案できる。「こんなことがやりたい」と言えば、否定されず、まずは受け止めてくれる。

 

これまで経験した福祉業界では、「こういう風にした方がいいのでは」と提案しても、法的な義務や通例を建前に、聞いてもらえなかった。例えば、当事者(児)が、職員側の体制や障がいへの理解不足により、その支援を不快に感じたり、ガマンしたりしている様子を見かけることも。そんな世界にいたので、みんなから、意見がもらえるワーカーズコープの気風が、すごく心地いい。「あっ、もしかして、私の居場所はここかな」と。

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