「子どもの幸福権」を守る

法律
子どもは権利の主体として「自身の幸福」を求められる

「人権」の基本的な発想は、人間である以上は認められる権利であるということ。当然、子どもであっても人権がある。「未成熟なので、権利の主体とは見なせない」と、常識的には考えがちです。実際にも、選挙権などは制限される。しかし子どもであっても「幸福追求の権利」はあります。子どもは、保護の客体というだけでなく、権利の主体として、自分のために何かを求めてもいいのです。

 

憲法に「子どもの権利」は明確に書かれていませんが、「子どもの権利条約」(外務省の訳だと「児童の権利に関する条約」)というものがあります。その第3条1項では、「児童に関するすべての措置をとるにあたって、公的もしくは私的な社会福祉施設、裁判所、行政当局または立法機関のいずれによって行われるものであっても、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする」と定められています。

 

親権を失っても、親には子の扶養義務あり

弁護士としてかかわることが多い子どもを巡っての争いは、親権、面会交流、養育費の問題です。今の裁判所は、「子どもの福祉」から見て最大の利益は何なのかを考えます。親にとっての利益ではありません。親の立場からすれば、「子どもを自分でどうかしたい」「とにかく子どもと会いたい」など気持ちが先走ってしまいがちですが。

 

さらに、「子どもの権利条約」にも、「子どもの意見表明権」を保証しなければならないとあります。つまり、子ども自身の意見が大切になってくる。もちろん乳幼児は言葉を話せないので、客観的な状況や、子どもの面倒を一番よく見る人の意見を考慮することになります。自身が話せる場合は、子ども自身の意見と環境を考慮して、父親か母親のどちらに養育能力があるかが判断されます。

 

子どもの言うことが本心なのか分からないこともあります。そんな際、家庭裁判所では、法律の関係者だけでなく、児童福祉などの専門家の意見も聞きながら検討していくことに。

 

親子関係にある親は、子どもを養育しなければならない。法律上で、扶養義務の履行を求められるわけです。「離婚後、面会交流をさせてくれないから教育費を払わない」という人が時々おられます。養育費は、面会交流の対価ではありません。生活費を子どもに直接支払うわけにはいきませんから、親権者である親に支払う。親権者でない親は、そうした形で扶養義務を果たしなさいということです。

子どもの施設移送は、「刑罰」ではなく「更生」のため

子どもがある程度成長すると、どうしてもトラブルは生じてしまう。犯罪にふれてしまうこともある。その場合、大人と同じような刑事裁判にかけるのは、適切でないとされています。実際の法制度としては、少年法がある。20歳未満の子どもについては、大人の刑事裁判と違って、家庭裁判所が扱うことになっています。

 

判決後、施設への少年移送は、刑罰に似ているように思われますが違います。大人の刑事裁判であれば、責任の取り方として自由を奪われる。一方、子どもはまだ成長発達の途中であり、更生が可能です。悪い道に陥ったのかもしれないけど、社会に戻れるよう、良い方向に向かうように導ける。それには、ただ施設に閉じ込めればいいということにはならない。少年院の先生が、しっかり面倒を見る。保護観察であれば、保護司さんなど信頼できる大人がかかわり、本人がより良い社会生活を送れるようサポートする。実際にそうしたことで、日本の少年の再犯率は、かなり低く抑えられています。ただ、最近、少年法が改定され、厳しくなりました。罪を犯した18、19歳を「特定少年」として厳罰化されることになってしまって…。

 

事件を起こした少年に、弁護士としてどう接するか

先日、私が担当した少年事件で、本人が「やってない。そこまでやると思わなかった」と事件の関与を否定しました。しかし、審判の中で裁判官は「関与した」と残念ながら認めてしまったのです。弁護士としては、「『やった』と認めた上で、『ごめんなさい』とした方が有利だよ」と本人に勧めるのは簡単です。処分が軽くなるかもしれない。ただ、そういうことを言わされてしまう、言わざるを得ない立場に追い込まれてしまう本人の気持ちというものを、どこまで想像しつつ寄り添うことが大切かなと。反発する気持ちが生まれたり、大人に対する信頼を失ってしまっては、元も子もないからです。

 

犯罪にふれてしまう子どもは、家庭や周囲の環境が厳しい場合が多いと思います。たいてい誘われて、軽い気持ちで悪いことに手を染める。なぜ悪い友だちのところへ行くかといえば、居づらいような家庭環境にあったりする。また、何が良いか悪いか、親と一緒に話し合う機会がなく育っている。あるいは、「今、こんな問題がある」といった相談が誰ともできず、犯罪の世界に引きづりこまれてしまう傾向はあるかなと。

 

私の体感としては、大人と比べて子どもは、こちらが言ったことにすごく素直に反応してくれる。逆に言えば、悪い方向の影響を与えられれば、すぐにそちらに行ってしまう危うさがあるということ。

 

だからこそ、子どもの話すことをきちんと受け止めます。その上で何が良いことなのか一緒に考えるプロセスをたどっていけば、本人なりに真剣に考える。すると、こちらが思いもしないようなしっかりした意見を言うようになり、驚くことがあります。

 

「子どもの人権110」で、弁護士に頼ってほしい

東京弁護士会「子どもの人権救済センター」では、「子どもの人権110」を開設しています。子どもが、直接電話で無料相談できるもの(初回の直接相談も無料)。対応するのは研修を受けた弁護士です。今日帰るところがない子どもたち、虐待や犯罪などの危険から避難しなければならない子どもたちには、シェルター(居場所)「カリヨン子どもの家」につなぐこともしています。

 

普段、弁護士は、大人との間でしか法律相談しません。子どもからSOSを直に受け止める機会はなかなかありませんので、「110」の開設は貴重なことです。子どもの場合、弁護士は、「代理人」という形でつきます。「この子の権利を守るためには、何をしたらいいか」という観点から話ができる。一方、学校の先生の場合、本人に寄り添いつつも、学校の集団内で「こうしなくちゃいけないんだよ」という言う必要も出てきます。弁護士は、中立ではなく、はっきり本人の立場に立つ。法律という武器を持つ頼れる存在であることを、子どもたちに知ってもらえたら嬉しいなと。

 

弱い立場にある被疑者・被告人

この事務所に入ってから、多くの刑事事件を手がけました。その中で気づいたのは、事件の被害者はもちろんですが、被疑者・容疑者も弱い立場にあることです。刑罰を与えるということは、ある意味で最強の強制力を持っている。国の強大な力が、人を閉じ込めて、場合によっては命を殺めます。それが正当化されるためには、ちゃんと彼らの権利が守られなければならない。免罪があってはいけない。そんな緊張感のある場面に立ち会って、この仕事に改めてやりがいを感じました。

 

弱い立場にある人というのは、被疑者・容疑者をはじめ、虐待を受けた子ども、DVされ離婚した人、借金がかさんで途方に暮れている人、いろんな人がおられる。そういった人たちに法律を使って、1人1人の幸せな生き方、幸福追求権を実現する手伝いがしたいなと思います。

 

幸福の追求権とは

「幸福の追求権」については、法的にどういう内容か定義することはすごく難しい。「幸福」って漠然として内容が定まっていません。まさにそこに意味があるんじゃないかと個人的には思っていて。幸福って、誰かが決めるものじゃない。何が幸せなのかは、人によって違ってくる。お金がないより、あったほうがいいと、通常は思うのでしょうが、最終的にそれを判断するのはご本人です。まさにご本人が主体となって決めていく。「これをしたい」ということが、最大限に尊重される、それが幸福を追求する権利だと。

 

(聞き手・ライター上田隆)

 

 

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東京弁護士会 子どもの人権と少年法に関する特別委員会のページです

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