「子どもの幸福権」を守る

法律

<インタビュー・前原潤さん>

 

「人権」とは、みんなのための「道徳」ではない

人権は、道徳とよく混同されます。「お互い助け合う」や「社会のルールを守る」などといった道徳とは、実は違うのです。では、「人権を守る」とはどういうことか。法律の論議の中では、「個人の尊厳が保障されること」とされています。「個人の尊厳」は重要なキーワードですが、そのままだと分かりづらい。戦前の全体主義社会や家父長制など社会集団の中で、個人が抑圧されてきたという歴史があります。その反省から戦後の日本国憲法では、権力に対して弱い立場にある個人を、権力から守る必要があるとしました。「人権を守る」をもう少し砕けて言えば、「1人1人が、自分の人生の主人公として尊重されること」だとしてもいい。

 

道徳というと、どうしても「みんなのために我慢しましょう」というところがあります。

一方で、人権の「1人1人が尊重される」という考え方では、みんなの意見と異なる場合、自分の意見を抑圧されるかというと、そうではありません。たとえみんなが嫌だと思っても、違う意見は尊重されます。少数派であっても、尊法的に守られるのです。

 

人権と人権がぶつかる時は、「公共の福祉」で調整

義務を果たさない人には、人権は認められないのか。 例えば、税金を支払わない、生活保護を受ける立場だからといって、選挙権を失わないのは当たり前です。義務を果たしてなくても、人であれば、誰でも認められるのが人権です。端的に言えば、犯罪を犯した人、被疑者や被告人といった人たちにも人権がある。

 

しかし、何でも自分勝手にできるかと言えば、そこも違うわけです。お互いの権利と権利がぶつかり合えば、調整する必要がある。権利が制限される、認められない、という場面も出てくる。もちろん犯罪する権利はないんですけど。

 

どういう風に調整するのかといえば、「公共の福祉」に反することは認められない、ということです。「公共の福祉」とは、「個々人の個別的な利益に対して、多数の個々の利益が調和したところに成立する全体の利益」とされています。しかし、「公共の福祉」を理由に、なんでもかんでも制限できるとなると、憲法の趣旨と異なってくる。多数派が「全体の利益」を言い立てて、なんでも制限できることにつながるからです。

 

人権の根源としての「憲法13条」

憲法にはさまざまな人権が明記されています。平等権(14条)、思想・良心の自由(19条)、信教の自由(20条1項)、学問の自由(23条)、表現の自由(21条1項)…など、たくさんある。憲法だけではなく、条約で認められているものもありますし、それらも尊重されなければいけない。

 

こうしたいろんな人権の根源にあるのは、憲法13条「個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉」です。その条文は、「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大に尊重される」というもの。

 

「プライバシーの権利」は、新しい人権の一つ

「個人の尊厳を守る」ためには、人権は新しくつくられていく可能性があります。「プライバシーの権利」もその一つ。憲法制定当時 (1946年公布)から、銘文に載るようなものではありませんでした。実際の中身は、「のぞき見・盗聴されない、人に知られたくない秘密を曝露されない」などです。さらに一歩進めて、「自己情報コントロール権」が認められるようになりました。それは、「無断情報収集の禁止」「目的外利用の禁止」「閲覧・訂正などの請求権」を求めるものです。これを「人権」とまで言えるか議論はありますが、法律(個人情報保護法等)で保護しようという流れになっています。人に知られたくないことは誰にでもあり、誰にも監視されないというのは平穏な生活を送るためには必要なんだと。

 

「プライバシー侵害」が初めて日本の裁判で問題にされたのは、『宴のあと』事件(1964年)です。東京都知事選に立候補して惜敗した原告をモデルにした小説(三島由紀夫著)が、原告のプライバシーの権利を侵害するかどうか争われました。その裁判で、「プライバシー侵害をすることは違法」であり、「損害賠償を負う」と認められたのです。判定の一番のポイントは、「一般人の感覚を基準にして、その人の立場に立ったとき公開してほしくない、あるいは公開されると不安を覚える事柄であること」でした。絶対的な基準があるわけではなく、その後の判例や事案によっても、若干訂正は加えられています。また、時代の推移で変化していくでしょう。

 

一方で、プライバシー侵害になりやすい情報があります。当たり前じゃないかと言われそうですが、やはり「氏名・生年月日・住所」。あと、個人情報保護法を見れば、「要配慮個人情報」が参考になりますが、「人権、信条、社会的身分、病歴、前科、犯罪被害情報など」があげられています。他の人に知られると不当な差別、偏見が生じやすいことを、本人の許可なく、勝手に公開する、人に伝えることが問題になってくるわけです。

 

これ以外の情報なら、プライバシー侵害にならないというわけではありません。例えば、「性的指向」があります。その人がゲイであることを勝手に周囲に知らせれば、損害倍書の問題になってくる。

 

専門職に求められる守秘義務の範囲

法廷外のことですが、「守秘義務」というのが専門職にあります。もちろん弁護士には当然あるものです。専門家に相談するとき、話の内容を他の人に知られると、相手は安心して相談できないからです。

 

守秘義務が解除される場合は、次の3つ。「本人の承諾がある」「弁護士自身の自衛のために必要がある場合」「他人の生命・身体への危機が差し迫っているなど、重大な公共の利益のために必要がある場合」。

 

専門家にとって守秘義務のない人であれば、何でも漏らしていいかというと、そうではありません。誰であっても、プライバシー侵害はできないからです。先ほどの裁判例でもあった、「一般人の感覚を基準にして、その人の立場に立ったときに公開してほしくない」が、やはりポイントになってくる。

 

また、本人に、その個人情報を誰かに伝えるときは、同意書を取っておくのがよいとされます。お互い守秘義務を負っている弁護士や社会福祉士など専門家同士の間で、「こういう人がいて、困っている」と相談する際、事前に同意書まで取ってというケースは、少ないでしょう。「およそ個人が特定できない場合」「黙示の同意がある場合」などは、プライバシーの侵害とは言えないかなと。個人情報を使用することが、どうしても必要な場合もあるので、硬直的になりすぎないように工夫を重ねていかなければなりません。

 

会話やSNSなどで漏らしてしまうことはありがちなので、それに関する注意は必要です。

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