施設の子と、泣き笑う“おせっかい”

児童施設

 

1年目は大人主導の企画、2年目は手ぶらで

最初の1年は、こちらで準備しなきゃと思って、ボランティアさんや作家さんなど地域活動している方に次々アプローチしてきました。アート、極拳、けん玉教室、ヨガ、シャボン玉飛ばし…本当にいろいろなことを催しました。やがて、毎回違う人を巻き込まなきゃいけないというプレッシャーがつのり、日々の本業もこなさなくてはいけない。それでだんだん以前ほど動けなくなってくる。でも人間関係はできてきたので、そこまで新しいものを持って来なくてもいいのかなと。子どもたちと、縄跳び、ボール投げをやるとか、なんかそういうことでも楽しんでくれることに気づいたんです。今年4月からは、ちょっとやり方を変えて、もう何も持たないで行くことしました。

 

「施設の子どもたちのために、がんばる!」みたいな強い意気込みは、もうありません。空回りするだけなので、流れに任せてというか。子どもたちから、逆に「こういうこと、やりたいんだよね」と発信してもらえるような環境をつくりたいなと思っています。

 

自社のイベントルームを、施設の子と卒園生の拠点に

今日、お昼の1時から、私の店の2階で行うワークショップは、その試みの一つ。施設の卒園生と文教大学の学生が「足立マップ」をつくり、西新井エリアの魅力を写真で伝えようというもの。この企画に、今施設にいる子たちも参加し、卒園生たちが交流する機会になればと期待しています。

 

施設の子の悩みは、そこで暮らした経験がないと分からないこともあるでしょう。外部の私たちは、悩みを聞くことはできても、本当の意味で寄り添ってあげるのは難しいかなと。先輩の卒園者が相談に乗ってあげる方がいいはずなんです。ただ、卒業しちゃうと、たいていは施設とは疎遠になるらしいんですね。

 

なので、施設の外にある、私の会社のイベントルームを拠点に使ってもらって、みんなで何かやるきっかけをつくってもらえればなと。アリオなど大きな商業施設でもいいんですが、そことも違う、なんかちょっとした近所のスペースとして。

 

また、今はまだできてないけど、「マルシェ」を開催したいと思っています。施設内にはお庭があるので、そこで地元の八百屋さんに来てもらって野菜を販売したり。子どもたちが販売を手伝い、近所の人に売ってみるのもいい。「自然な流れで地域交流していきたいね」ということは、施設長とも話しています。実現すれば、児童養護施設としては画期的なことかもしれません。

 

妊娠・出産で退社後、孤立感にさいなまれる

私は、もともと不動産会社で営業として勤めていました。前に出る仕事が好きなタイプなんで。不動産業界の中でも女性の活躍に積極的な職場で、働きやすかったです。それで、結婚して妊娠、出産したとき、復帰するという前提で育休をとりました。ただ、いざ子どもの傍らにいると、離れたくなくなっちゃって…可愛すぎて (笑)。

 

子育てが少し落ち着いて仕事に戻ろうとしたとき、自宅近くのお店に通勤できないかなど、いろいろ考えて要望しました。すると、現場でなく営業推進の部署を勧められます。時短で働けるようにという会社側の配慮だと思うのですが、やりたくないなと思いまして。じゃぁ一回辞めようと。もちろん当時は、自分で会社を立ち上げるなんて考えていません。

 

育児に専念していた時期は、誰とも話さない日が続いたりする。「私、何やってたんだろ?」と、世の中から取り残されるような疎外感を感じるように。反面、子どもが可愛くて希望して辞めたのに、自分勝手だなという気持ちもある。でも「何とか、社会とかかわりたい!」と模索します。

 

そんな時、足立区NPO活動支援センターが発行している情報紙『Aパートナーズ』で、区民レポーターの募集を見つけました。仕事は、足立区内のNPO団体や、地域で活動する団体を取材して記事にするというもの。応募したら、子どもを連れ来ても大丈夫というので、ボランティアでやってみたんです。

 

やっぱり社会とつながると、自分が「生きている!」という感じがする。取材する方の中には、先輩のママさんもおられ、子育ての悩みを相談できたり。そんなことが精神的な支えになり、「つながり」は必要だと思いました。

 

趣味のアクセサリーづくりで起業し、徐々に事業拡大

会社の設立は、私が趣味で、娘にアクセサリーをつくっていたことがきっかです。母親がアクセサリーの会社に勤めていて、いらないパーツなどをたまに持ちかえったりする。それを子ども用にアレンジして、娘につけて楽しんでました。すると次第に「可愛いね~」と周囲から言われるように。

 

じゃぁ、「子ども向けのアクセサリーをつくって販売してみよう」と思い立ちます。10年前なので、アプリとかメルカリとか、ぜんぜんない時代です。当時は唯一『通販雑誌』という媒体があり、それを見てネットで買うというのが、少しずつ出てきた形でした。ここで販売しようとしたのですが、「会社じゃないと、取引できないと」と言われちゃって。それでなけなしの30万円を持って、個人登記して会社をつくったみたいな。

 

最初は、店もなかったです。実家で作成してました。室内で犬を飼ってまして、商品に毛が紛れ込むのもまずいなぁと、月5万円のアパートを借りて1人で仕事を始めます。やがて取引先が増えて、アカチャンホンポさんやスタジオアリスさんからも受注いただくように。徐々に拡大していった感じですね。

 

ラジオの自主放送で娘と共演し、親子のひとときを

…きゃはは! ラジオ(染谷さんがTwitterで自主放送している『起業家ママEri&ときどき娘のラジオ』)を聞かれたんですね! すみませ~ん。まさにそこで娘が、「なぜお母さんは事業を立ち上げたのか?」と尋ねてました。ラジオは、私と小学生の娘が会話するささやかなものですが、2人のコミュニケーションツールでもあります。普段あまり深く話せる機会というのが、お風呂の時間ぐらいしかないので。娘には自己表現できる場にもなるし、私にしても「こんなこと思っているんだ」と聞けることが多々あって、一石二鳥というか。

 

…娘は私に対しては、やることやんないこと、また学校のことは、うるさく言ってるなと思っているでしょう。けれど、それ以外の部分に関しては、口を出しません。やろうがやるまいが自由じゃないですか。自分で決めることだと思うので。

 

フィリピン人の父と、日本人の母との葛藤の中で

子どもの頃、私の親は、やりたいと思ったことを、わりとやらせてくれました。ただその、なんて言うかなぁ…父親がフィリピン人なんです。日本人の母親がそれをすごく気にしていて、負い目を感じるような考え方にはさせたくないみたいな気持ちが強い。「とにかく、人に負けるな」みたいなところはあったかなと。

 

父親は典型的なフィリピン人気質で、人生をエンジョイしようというタイプでした。でも、子どもを育てることは、楽しいことばかりじゃない。バンドマンで自由な人なんですけど、その活動を我慢して、もう子どものためにと一生懸命働いてくれました。

 

今は行っていないですが、学生の頃、何度か父の実家にお邪魔したことがあります。首都マニラなんですけどね。トゥクトゥク(改造オートバイの安価なタクシー)が走っていたり、のどかでした。当時は下水道があまり発達してなくて、雨が降ると洪水みたいなことに。最近だと、都心もだいぶ整備されてきたようですが。私自身は、日本で生まれ育ち、名前も日本名なので、日頃フィリピンに対して、特に意識することはありません。しかし、行けば行ったで、現地で感じるものはあります。

 

フィリピン人は家族主義で、血縁者をとても大事にします。その考え方は、国際結婚した母親にとってはなかなか理解できなかったみたいで、父親とは結局離婚しましたが…。

 

“おせっかい”な足立の気風の中、自然体で、子どもと付き合う

フィリピンの家族主義じゃないけど、足立区には、なんかそういう助け合いみたいな気風はあると思います。この街のいいところは、人が常におせっかいなところですよね。私の活動も、会名そのまんまです。別に毎月施設へなんて、わざわざ行かなくていいじゃないですか。「これが大事だよ」みたいなことを伝えるわけでもなく、ただ自分がやりたいだけ。

 

施設の子とは、深く話すということはしてません。あまり個人的なところには立ち入らないんです。この日、その集まりに行けば、「また、あのおばちゃんいるわ!」みたいな(笑)。私の方は、「今日、調子どう? 元気ないじゃん」ぐらいですね、言うとしたら。

 

(聞き手・ライター上田隆)

 

 

<問合せ>

おせっかい子育てプロジェクト

〒123-0841 東京都足立区西新井1丁目32-11-104

電話03-5647-6607

足立区および足立区近郊にお住いの方々のボランティアさんを、随時募集しております。ご希望の方は、下記お問い合わせください。

e-mail  smilevillage2020@gmail.com

おせっかい子育てプロジェクト
西新井の慈善事業

代表 染谷江里

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