ヤングケアラーが、訴えたいこと

ヤングケアラー

<講演・大山光子さん>

私は71歳、今年で72歳になるおばあちゃんです。支援者でも、専門領域を研究してきたことなんてない、まったくの地域のおばさんです。自分の子育てと共に、地域の子供会、いろいろのところで知り合った子どもたち、親たちと、日常の中でかかわり、さまざまな状況に出会いました。今日は、長年垣間見てきたご家庭のお話をさせていただきます。

 

浅草育ち。会社勤務を経て家庭に入り、地域活動に至るまで

まず、その前に、私のプロフィールを簡単に。

 

浅草生まれの浅草育ちです。花街・浅草の華やかなところ、隣のドヤ街・山谷の過酷なところを身近に見て成長しました。靴職人の家で、職人たちと一緒に生活。集団就職してきた中卒の子どもたちが、いつも10人15人寝起きするような環境でした。毎日、母親と私でご飯の支度し、やりくりをしたものです。

 

夢はいろいろとありましたが、最終的には福祉系の4年生大学を選びました。あいにく学生運動が盛んな頃です。休講ばかりでちっとも授業をしてくれないことに腹を立てて中退。警察職員の試験にも受かっていましたが、そちらの道には進みませんでした。

 

退学後、ボランティアや大手企業の社員を経験。その後、結婚して家庭に入りました。子育て、親の介護も担った30年を経て、今に至ります。

 

学校のPTAをさんざんやらされて、協議会、地域の健全育成団体、区の職員の青少年委員、民生児童委員などいろいろ所属。「もうそういうことはいいなぁ」と、ぜ~んぶ辞めさせていただいて。今、仲間と立ち上げた「あだち子ども支援ネット」というところで、みなさなんのような方々と知り合えて、活動がもう少し進むといいな、なんて思っている人です。

 

これからお伝えしたいのは、「事例」というわけにはいきません! 家庭の本当に複雑なこと、知られたくないことに対して、一地域の者が、どういう風に向き合って一緒に過ごしてきたか、また、「ヤングケアラー」という子どもたちが、何を考え成長してきたかを話すことで、支援する人たちに刺激を与えられたらなぁと。

 

親の貧困、「大丈夫じゃない」と言えない子どもたち

まず「親の貧困」です。

貧困ってみなさんどうお考えですか? 「貧乏」? 「体験不足」? 「子どもの貧困」っていう言葉がはやったとき、子どもたちからは「オレたち、貧乏じゃないよ!」って、よく言われました。「そうだよねぇ~、オヤツ買えるしねぇ~、多少お金持ってるしねぇ~、お年玉ためてるしねぇ~」と、私もうなづいて。ただねぇ、ただ、子どもたちは、自分の声に出して言えないんです。親が家で過ごしている姿、隣近所からどういう風に言われ、友だちからどういう視線を浴びてるか、ほつれた自分の服をあえてそのままにしている、ということを。「腹減ったなぁ~!」って、つい一日に何回も口にすると、そのたびに親たちにきつく怒られる、叩かれる、ひどい目に合う。毎日毎日、その繰り返し。現実に、虐待やDV、「やばいな、これっ」ていう状況が隠れています。

 

支援する方々が、支援が必要かもしれない家のドアをノック。玄関に入り、「大丈夫?」って声をかけたとする。大丈夫なわけないんだけど、子どもたち、「大丈夫です~」と言わなきゃならない。うちのことって、話せないんですよ。家族の困りごとを隠しながら、自分の家族を守ってる。夏のキャンプに連れていったある子は、語り出して、泣いて喚いて、「なんでオレんちが!」って。そんな子どもたちの言葉が、忘れられません。

 

保護者の鬱が、子どもの心の成長を阻む

保護者の鬱が、今とっても多いんです!  女性が多いかなぁ~。特にお母さん。こないだも私、1人のお母さんを入院させたんですけど、入院しても治るもんじゃない。どういう風に応援しても、励ましても、生活を改善させても、また自分の奥に引きこもってしまう。どう気分転換させたらいいか分からない。家族も悩むし、子どもは本当に振り回されてしまう。

 

鬱症状に悩む、いろんなお母さんたちに接してきました。よくあるのは、支援する側が、お母さんの鬱を把握しないまま動いてしまうこと。それで親の鬱が、子どもの発達や成長に障害をもたらしていることが見過ごされる。

 

家の中に入らせてもらい片付けると、あるお母さんは、「少しスッキリした」と穏やかな顔に。でも、話をするうち、ご自身のお子さんを非難し始める。「この子は、この子は…なんにもできない。発達障害だから!」と。「いやいや…そうかしら? 成長は遅れているかもしれないけど、『障害』かなぁ?」と、専門家でない私でも首をかしげてしまう。

 

そんな親を持つ子どもたちは、学校に上がったとき、たいてい特別支援学級に行くことになります。親たちは普通学級を望んでいる。しかし子どもにすれば、家で落ち着いて宿題ができる環境にない。しょっちゅう忘れものをする。いつも精神的に不安定なんです。それで特別学級に、通い続けることになる。

 

家事をしない、家族の批判ばかりする親に対して、支援者をつなぎ、保健センターをつなぎ、いろいろサポートをつないできました。成長したのは子どもです。支援してくれる人の仕事やふるまいから、どんどん学ぶ。「あっ、こういう風に挨拶するんだ」「台所はこう使うのか」と。

 

ある子は、「自分も、お母さんやお父さんのようになってしまうのでは」という恐怖にとらわれました。不安なんてもんじゃない、恐怖です。その子は、「大人になりたくない!」って泣きました。それでも学校に行けば、友だちがいて楽しい。だけど、やがて特別支援学級で学ぶことが、普通学級と異なることに気づく。思春期になると、自分自身に違和感を覚え、悩んでしまう。この気持ち、鬱の親たちを支援してきた人たちが、なかなか気づかなかったことかもしれません。

 

私、「支援」って、すごく薄いもんだなぁと思います。子どもたちから、いろいろなことを聞いてしまったからでしょう。もちろん支援は、ないと困る。じゃぁ、あるなら、どういう風にあった方がいいのか。私たちの団体では、そのあたりのことを深く掘り下げて話し、すべきことは何かと考えたいなと。

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