グラレコで、つなぐ

コーディネーター
大家族で、常に「掛け持ち」状態の子ども時代だった

あびこ市民活動ステーションで開催した「beの肩書を聞く会」のコーディネイターもやってまして。「私らしさ」を外のロールモデルに求めるのでなく、まず本当の自分を客観的に見つめなおし、次の段階で自身のやりたいことを考えようという企画です。まず、「私」と「私の中身」をbe動詞でつないで表してみる。私=be=「こんな家族構成」、私=be=「こんな技能を持つ」など。その事例として、グラレコ風に描いたのがこれで…。

 

(野際さん自身の「be」のグラレコが、スマホ画面に。生い立ちが1枚に凝縮!)

 

…ええ、大家族でして。私は、7人きょうだいの長女です。おばあちゃんは多趣味なキャリアウーマンで、おじいちゃんが家事育児をしていました。「車は汚れるものだ」ということを、磨き上げるおじいちゃんが亡くなるまで、おばあちゃんは知らなかった。それって、どうなのかと(笑)。母は一人っ子の反動なのか、常に新生児を抱いていた印象があります。父は週1で帰ってくる怖い存在で、会社経営してました。

 

たくさんのきょうだいを、私が面倒をみる感じで、まあ”ジャイアン”でしたね。とにかく、工作や絵をかくのが好きでした。おばあちゃんも趣味で絵をかくし、母も得意。父はシステムエンジニアでした。だからか、きょうだいは、教員・保育士や漫画家といった教育・美術系か、またはエンジニア系の道に進んでいます。

 

学生時代は、やりたいことが一杯ありすぎて、多動というか、毎日どこかに出かけている。習い事は、ピアノ、体操、習字、英語、そして合気道も。部活は、弓道、バトミントン、吹奏楽、生徒会。「なんで女子のはないんだ!?」と、女子応援団をつくりもしました。地域活動にもかかわって、ボラセン(ボランティアセンター)に通い、スポーツ少年団のリーダー会ではイベントを企画。大学時代は、生活費がちょっと苦しかったので、家庭教師などバイトを複数やってて。休日なんか3つほどこなして、朝昼晩と働きました。

 

…今みたい?  原型ですね。常に何かをかけ持ち状態で動き回ってる「マルチポテンシャライト気質」というそうですが、まさに子どもの頃からそうでした。

 

両親の他界、結婚・出産、激務で追い詰められ、見えたこと

制作会社に勤務している10年間、20代半ばから30代半ばに、結婚、出産(2回)、育児(2人)を経験。同時期に、両親が病気となりますが、2人とも他界してしまいます。父が残した借金を背負い、未成年だった妹の後見人にもなりました。2人目を出産した1週間後、母が亡くなったときは、乳飲み子を抱えながらお葬式といった状態。仕事もしてますから、ものすごくハードで、息切れしちゃって。

 

そのうち上の娘が、「ママ、大変そうね。なんか私、働くの嫌だな」って言うんです。「私、なんてことを子どもに思わせてるんだろう…」とびっくりして。「この生活をなんとかしなければ」と会社を辞め、フリーランスの道を模索し始めたんです。紆余曲折、コーディネイターの職にたどり着き、好きなグラレコも生かせている。だから今、すごく楽しいなと。

 

子育てもそうですし、女性という立場もあり、未来は不確実です。目標を立てて、「こうなりたい」と思っても、ぜんぜんそうならない。「今このとき、自分がやりたいことをやれる自分でいたい」、それだけでいいんじゃないかと。

 

「違うな」と判断し、別の道に行くことは、私、わりと平気でして(笑)。小学校の教員を辞めたときも、周りに「なんで?」と強くとがめられましたが、「辞めたいから、辞める」と押し切りました。「教育学部まで出たのに…」と、親は思ったのかもしれないですが。

 

なぜ、小学校を辞めたか?…う~ん、まだ20代前半だった私は、「子どもたちに、何を教えられるのか」と自信が持てなかったというか。社会経験もなしに、1年目から担任になることに戸惑いがありました。また、教職は大変な仕事量で、長く務めるほど斃れる先生が出ている。それは、ちょっとやっていけないかもと。一つのところでは満足できない性格もあり、生まれ育った山梨を出て、東京で就職したんです。

 

息子の不登校で気づいた「学校」と「子どもの世界」の今

子育てについて、ですか…。私が大家族だったこともあり、いろんな人の「目」があってほしいというか。ワンオペが本当にしんどくて、一人では子育てできないなと。なんか私が、神聖な子どもに対して、あまりどうこう言っちゃいけないんじゃないかという気もしますし。

 

どうやって外とつないであげたらと、親として思います。でも難しい。こっちがよかれと思うことと、本人が望んでいることは違う。子育てに関しては、もうぜんぜん「これが正解」というのはなく、日々迷いながら、悩みながら…。

 

今、下の息子が不登校なんです。私としては、行きたくない気持ちがすごい分かるというか。「だよね~、行きたくないよね~」って(笑)。1年生の授業参観のとき、学校は昔と変わってないというか、より厳しくなってることが、すごい衝撃でした。机の上も、ビシッとここに教科書、ここにペンみたいな。「えっ! これでいいの!?」と。

 

感受性が豊かな子なので、だいぶ傷ついたようですが、回復はしてきています。いい時代だなと思うのは、インターネットでお友だちとつながっていて、クラスの子とゲームやオンラインで話したりできること。会ったことのない、東京都以外に住む子ともつながっています。

 

…学校自体が変わればいい?

 

そうなんですよ。先生もつらいし、親もつらい、子どももつらい。なのに、なんで変わらないんだろうというのは、不思議でならないというか…。

コメント

タイトルとURLをコピーしました