「ヤングケアラー」ってなに?  IN足立

ヤングケアラー

第2部

【当事者・支援者のお話】

<平島芳香さん>

「風通しを良くする」支援は、すべてを破壊する 

元ヤングケアラーの平島です。今、精神疾患の親を持つ子どもが集う「ハート・ベース」を開催しています。

 

ヤングケアラーにはさまざまな状況があり、私の場合は、両親が精神疾患の統合失調症のケースです。今日話す事例は個人的なことで、代表としての報告ではありません。

 

私は1967年生まれで、2歳下の妹がいます。両親に精神疾患の診断が下されたのは9年前。

それぞれ別の疾患で、通院した際に発見されました。発症は私が生まれる前からだと思われ、本人に病気の自覚はない状態でした。

 

気付いたら機能不全の家庭環境でしたが、9年前までは、面倒くさい個性的な親だと思うだけでした。私が赤ちゃんの頃の記憶では、泣いていても授乳してくれず、おむつもかえてもらえない。すでにネグレクト状態で、もの心ついたときから、私のケア対象は、両親と妹の3名でした。

 

ヤングケアラーは、その自覚がないと言われますが、生まれてからこの状態で、私にとって日常でしたので、まったく気づくことはできませんでした。特に社会とのつながりが薄い幼少期では、ご近所、地域、自治会、保育園、小学校と、家庭を比較する対象が狭い。さらに、両親から友人関係を制限、テレビ視聴も規制されて、外部の情報が入りにくい環境でした。被害妄想がひどい両親だったので、周囲から自分たちを攻撃する情報が入ると思い、遮断していたのでしょう。

 

両親は自分たちが「高貴な身分」であると言い張り、地域住民を見下していました。清掃などの地域活動なんて、子どもがすればいいレベルだと。それで私は、小学校1年生から、大人と一緒に地域活動を担うようになりました。地域の人は、「いつも活動してくれて偉いね」と私を褒めますが、かえってそれが呪縛となり、誰にも頼れなくなりました。すべては自分が背負うという覚悟が芽生えてしまい、「助けて」という言葉は、今も私にありません。

 

コミュニケーション障害の父親は、職を転々し、体調が悪いと寝込みます。だから、主な生計は、母のパートの仕事でした。そのパート先が、今、親たちの通院先である病院です。

父親は4年前に他界。現在は、母親のみ通院しています。

 

両親にとって私の存在は「使用人」でした。妹は、自分たちの子どもとして認知してたようです。両親たちから、自分たちと妹の面倒を見るのは、ご先祖様から与えられた私の宿命だと、幼少期から言われ続けてきました。疑問を持つこともなく、自分が生きるために、両親からの虐待も含めて、すべて受け入れての「ヤングケアラー」でした。

 

小学校1年生のときには、保育園の妹の送り迎えし、家事一切や、公共機関の手続きをしていました。漢字が読めないので書類は親が書くにしても、窓口には私が行きました。言いつけを聞かないと暴行が待っているからです。

 

精神的身体的虐待は日常茶飯事。刃物をのどにあてられる、ついに首を絞められても驚かなくなり、「いつ私を殺してくれるかしら、その方が楽なんだけどな」と思うように。自己肯定感など全く持てませんでした。

 

家族のケアの時間がすべてとなり、大人とコミュニケーションする時間が多くなりました。一方で、同じ世帯の子どもたちとは、会話、話題がまったく合わなくなる。学校も家も居心地が悪い。自分の時間があれば、1人になりたいと、近所の図書館に通うように。そこには、現実逃避ができる物語の世界がありました。今回の会場である竹の塚地域学習センター併設図書館も利用。そんなこともあり、居場所のない子どもたちが利用するパプリックスペースでのシンポジウム開催は、とても意義あることだと思います。

 

今、「ヤングケアラー」という言葉は、ブームになっています。彼らを支援したい人は、たくさんおられるでしょう。中でも、「ヤングケアラーを誕生させた閉塞的な家庭環境がいけない。風通しを良くしよう」という支援者が増えているように感じます。

 

実体験からして、「風通しの良い環境を」と、支援者が強引に家庭内に入る支援は、とても怖いです。私は、物分かりの良い、異常なほどの優等生園児でした。疑問を持った保育士が、親から虐待を受けていないか、私と両親に確認したことがあります。その後で、親は、私が原因で、家庭のしつけで恥をかかされたと、虐待をエカレートさせました。

 

家庭のよどんだ空気を換気する程度の「そよ風」だったら耐えられても、結果をすぐに出したい強引な支援は「暴風」となりすべてが破壊されます。そよ風とは、「寄り添い」だと思います。

 

私は、他人から見れば、困難なことでも、それなりに解決してきました。だから、困難を抱える人に対して厳しいのです。助けを求めると、「甘えているの?」と思ってしまう。家族に対しても同じ感情です。こんな冷たい自分は、人としてどうなんだろうと思っても、同じ立場で話ができる、感情を共有できる相手に、それまで会ったことがなかったんです。

 

たまたまインターネットで、精神疾患の親を持つ子どもの会である「こどもぴあ」を知り、参加しました。そこで初めて、私は一人ではないのだと実感。仲間と話し、共感することで、もやもやした感情が整理でき、心が楽になりました。地元の足立区でも、こうした会を開催したいなと、「ハート・ベース」を立ち上げ、活動を始めたのです。

 

今、私にできることは、現場の声を、このような公の場にお伝えすること。そして、同じ立場の仲間たちと感情を共有して、自分自身のリカバリー、回復につなげる場所を、仲間たちとつくることだと思っています。

 

<大山光子さん>

「ヤングケアララー」をブームにしてはいけない

「あだち子ども支援ネット」代表の大山です。

私は、支援者というよりは、子どもたちと一緒に遊んできた時間がとても長いんです。身近に接した子どもたちの家庭環境が、その子の人生に大きくかかわるのだなと肌で感じながら、20年30年、過ごしてきました。

 

足立区に越してきて、わが子を子育てながら、子ども会に加入したころのこと。そこで出会ったお母さんがアルコール中毒でした。だんだんひどくなっていく。男の子だったんですけど、お母さんをかばって、かばって、とってもいい子。お母さんが大事、家が大事と言う。

その子と何十年と過ごしてきて思うのです。お母さんがどんなに醜態をあらわしても、なぜこの子は、お母さんが好きなんだろうと。

 

また別のある子の両親は、離婚してしまう。何人もいる兄弟姉妹のなかで、上から何番目のその子が家庭のことを背負い、しわよせがいってしまう。

 

そんな状況をあちこちで目にしました。

 

学校関係にも出入りしていたので、不登校の問題にも関わりました。

当事者の子とおしゃべりしますが、日常の会話がとっても明るい。でも、「なぜ不登校なの?」っていうところで、家族のことは言い出さない。誰のせいでもない。自分が学校に来れないだけ。自分が悪いんだと。

 

最近、「ヤングケアラー」という言葉が、ポーンと出てきました。ちょうど「あだち子ども支援ネット」が立ち上がったときだったので、どうしてもこれは追わなきゃいけないなと。

なぜかといったら、そうした子たちがどの子も無気力なんです。夢を持てない。自分が悪い。家族のことなんか悪く言わないし。自分がヤングケアラーだと思えない、思ってない。

こうした子にこそ、自分が居ていいところ、食べものを与えてくれるところが、本当に大事なんだと。

 

「ヤングケアラー」というブームにしてはいけない。ブームにしたら、そのワードだけが走ってしまう。

 

薬物に手を出したお母さんに、へばりついている子もいました。親を守るために、自分の生活なんてない。夜、お母さんが薬に頼ることを防ごうと、寝ることができない。学校に行けるときは、教室で寝るのは当たり前ですよね。なので学校の先生に怒られてしまう。クラスメイトからいじめられる。そんな現実をちゃんと分かりながら、「明日、なんかいいことあるんじゃないの!」って、けろっと本当に笑える、そういう子といっぱい出逢いました。

 

そんな子に対して、大人が、社会が、できることがあるんじゃないか。

でも、学校も地域も、今、動いていないと思います。

 

森田先生からご講義で、外国のこと、日本の状況などを教えていただきました。もしかしたら、今、もっともっと人が冷たいかもしれない、と思って聞いていました。子どもたちにとっては、社会も大人も周りにいる人たちも、信じることのできない対象の人たちなんじゃないかなと。だからこそ、自分が我慢すればいい、というところに落ち着いてしまうのかもしれません。子どもたちが無気力であってはいけない。これから何ができるか考えたいと思います。

 

<講演・橋本久美子さん>

失われた権利と力を取り戻すエンパワーメントを

あだち子ども支援ネットの橋本です。

ソーシャルワーカーの仕事をして25年になります。バックグラウンドは依存症の回復と女性支援です。

 

足立区は、2015年、全国に先駆けて「未来へつなぐあだちプロジェクト 足立区子どもの貧困対策実施計画」というのを策定したんですね。足立区で働くソーシャルワーカーとして、ヤングケアラーに対して、何ができるのかお話したいと思います。

 

ソーシャルワーカーの仕事の一つに、エンパワーメント(力を引き出すこと)アプローチがあります。個人や集団が、自分の人生の主人公となれるように力をつけて、自分自身の生活や環境を、よりコントロールできるようにしていくことなんです。

 

その過程には、ミクロ・メゾ・マクロという段階がある。ミクロは、個人や家庭への支援。メゾは、公的機関による地域や福祉サービスの提供。マクロは、地域社会や政策。

ソーシャルワーカーとしての私は、ミクロとメゾの領域で、家族レベルのエンパワーメントにかかわることになります。

 

そのとき、エンパワーメントされる側する側という上下関係を再生産しないために、私たち支援者として自分たちの立場を自覚することが大切です。そして、支援される側、ヤングケアラーが、これまで手にすることのできなかった権利を取り戻したり、失われたパワーをもう一度再配分したりなどの過程を模索していくプロセスが、エンパワーメントだと思っています。

 

私は、平島さんの「ハート・ベース」のミーティングにずっと参加し、その場を大切にしています。語りと対話によって、人への感情、個人的な経験、自己否定感や無力感が共有されます。その上で、自己受容感、自尊心、自分の内面から出てくる力を獲得していく姿を目の当たりにします。私が専門とするアディクション(依存症)を乗り越えていく過程と同じです。「ヤングケアラー」は、彼女たち、彼たちの問題ではなく、私たちみんなが当事者として、私たちの問題として、私たちが解決することだと気づかされます。

 

ソーシャルワーカーが、ヤングケアラーにかかわる際、してはいいけないことは、構築してきた知識、暗黙のうちの理解、ノウハウを押し付けることです。ましてや「可哀そうな子」「ひどい親」「虐待」と決めつけるのは一番良くない。専門家の悪い癖で、「風通しを良くしましょう」と言ったとき、平島さんに「風なんか通さないで!」と怒られちゃいました。

当事者が生活経験の中で生き残るために選択した知識に、エンパワーメントする側である支援者が学ぶことが重要です。

 

ソーシャルワーカーは、環境に働きかける機能があります。ヤングケアラーが、機能しない家庭に悩むとき、親をケアしたり、また親を社会につなぐ作業をすることができるのです。

 

この講演会を聞いた人にお願いします。明日、ヤングケアラーのために、今日知ったことを誰かに話してください。気になる子に声をかけ、居場所をつくってください。子どもの気持ちに寄り添ってください。支援が必要なのかどうか、隣り合って、揺れながら考えてください。きっとヤングケアラーが「生きやすい世界」と言ったら、誰もが生きやすい世界になると思っています。

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