映画『隣る人』を観る

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人を孤立させない「柔らかい責任」

夜、マリコさんが、布団の上で、ムツミとマリナに絵本を読み聞かせ一緒に寝入るシーンが好きだ。一方で、保育士に休みはないのかと心配になる。上映後の講演で、稲塚さんは、「4週で7日休みです」と説明。それにしても「ここの保育士は、なんとタフで、自己犠牲の精神にあふれていることか!」と称える人がいるかもしれない。少し違うようだ。「みなさん強制ではなく、その働き方を自ら選んでいます。煩わしい夫がなく、かわいい子を育てられると笑う人も」と稲塚さん。登場する保育士さんたちは、人を育む=「隣る人」を実践しているのだ。

 

映画で、その自然体の働きぶりを見た若い人が、「保育士を目指したい」と「光の子どもの家」を訪れることがあるという。希望と理想に燃えた人が責任担当者になると、「『この子をちゃんと育てなければ』とのプレツシャーで余裕を失い、心が折れてしまうこともある。若いママたちが、一人で『この子を立派な子にしなくちゃ』と思いこむのと同じ。『親であれば、お金がなく、カスミを食べても、良い子育てをすべき』という『社会の眼差し』を内面化しているのです」。

 

「社会の眼差し」に張り付いている「自己責任」という言葉が出回っている。当日配布された冊子『映像でみるグリーフ』(グリーフサポートせたがや)に書かれた稲塚さんの文は、その本質を端的に指摘。「自己責任とは『あんたの責任でしょ』『私は関係ない』『あなたが責任者なんだから、あなたがどうにかしなさい』ということです」。関係性をつっぱねる(あるいは怯える)冷ややかな眼差しが、悩む人を孤立させる。

 

そんな言葉がまん延する今だから、稲塚さんが提唱する「やわらかい責任」に強く共感する。「やわらかい責任」とは、「責任」を一人で丸抱えするのではなく、できないことは、できないと心を「開く」こと。そして、隣り合う人に助けを求め、助けられ、また助け返す、お互い自分のできることをして支え合うことである。

 

この考え方は、映画のタイトル『隣る人』に集約される。映画の撮影当時、施設所長だった菅原哲男さんの造語。聖書のマタイ伝から発想した言葉で、隣人に寄り添い、伴走するように生きるという意味だ。「隣る」は動詞であり、自身の意志でポ~ンと飛び込んで、傍らに立つような勢いを感じる。マリコさんは子どもたちの「隣る人」であり、子どもたちはマリコさんの「隣る人」であろう。そして互いを想い合っている。

 

稲塚さんは言う。「相性ということもあります。この施設では、食堂のおばちゃんや退職した保育士さんと強い結びつきを持った子どもいます。結びつくことができるなら、誰でもいいわけです」。

 

「隣る」は、肩ひじはってすることではない。決して容易ではないが、単純なことかも。

 

「隣る人」宣言

アフタートーク、そして座談会では、足立区内での「隣る人」が集った。家庭支援センターに勤める人、里親や母子家庭を支援する人、養護施設にかかわる若い人、児童養護施設で子どもを支える人、里親となり他県に移住して子育てを計画するご夫婦、3.11をきっかけに足立区のまちづくりに開眼した建築家、足立区の行政に提言活動する人、ラオス・ネパール人の支援事業をする人、稲塚さんの「隣る人」であるご友人などなど。多士済々である。

 

あだち子ども支援ネットの代表理事・大山光子さんは、最後にこう締めくくった。

 

「みんなが『隣る人』になればいい。人と人との付き合い方に、あまりにも気遣い過ぎなんです。人生楽しむために、この子と一緒に生きていくと思えばいい。『死んだ方が楽だ』と落ち込んでも、朝が来れば『洗濯しなきゃ』となる!」。

 

今後、私は、「足立の子ども支援」というテーマを追い、街の「隣るライター」になろうと決意している。ぜひ、これからのルポをお楽しみください。

(文責/ライター上田隆)

 

<告知>

映画『隣る人』の自主上映をしてみませんか?

お申込・お問合せ:『隣る人』上映事務局

TEL:090-3599-7702【担当:稲塚(イナヅカ/東京)】

TEL:090-3709-8323【担当:刀川(タチカワ/大阪)】

Mail代表:tonaruhito@yahoo.co.jp

詳細はhttp://www.tonaru-hito.com/zyoei2.html

もし疑問に思われることがありましたら、是非ご相談ください(稲塚)

 

 

 

 

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