甘えられない、甘えさせない性格に
子どもの頃の性格ですか? 外に対しては、とりあえず「いい子」ですよ。「問題ありません」みたいな。それに私、要領は良かった。「この人はヤバイ人」「自分に危害を加えてこない人」と見抜く感覚が鋭いというか。人を見てる、これも「こどぴあ」の家族学習会同期仲間の共感ポイントです。でないと、命にかかわりますから。親の表情が険しくなる瞬間を読み取って、「これは危険」と判断して逃げたすタイミングを図るうちに身に付いたことです。こうした生活をしていると、鍛えられる側面もある。たいがいのことは、「そんなこと別にいいじゃん」と。
子どもの頃から、甘え方がよく分からないというか、甘える人が分からない。みんなに言われることで共通するのは、「甘えて来る人に対して、冷たいよね」と。「なんで自分で解決できないの? 相談したとしても、最後に決断するのは、あんただからね」と思ってしまう。だから人を育てるのは苦手。仕事も人に任せられず、自分でやってしまう。一人親方になる。
ヤングケアラーは、小学校2、3年前までに殺されなければ、生き延びると思う。どうにかなる。しかし、生き延びても、なにかモヤモヤする。このモヤモヤは、自分の生活習慣や意識と、世間のそれとのギヤップに対して衝撃を受けると、よく生じます。それで「私の人生、なんだったんだろう?」と自問してしまう。「子ども時代」を失ったことからくる空虚感からなのか。ときに「自分がない、生きてる実感がない」という思いにとらわれ、胸がしめつけられます。
ヤングケアラーの交流会で、心を「リカバリー」
ヤングケアラーたちの交流は、とても大切なんです。精神疾患の親を持つ子どもは、やはり自分の気持ちを整理したい。話をして言語化することで、モヤミヤしたことが整理される。自分と同じ立場の人と語り合うことで、「ああ、そうだよね」と共感し、失ったものを取り戻し回復させる「リカバリー」を経験できます。そのことで、何かがちょっと楽になるかな。
私は「こどもぴあ」の家族学習会担当者の一人になり、また、「ハート・ベース」という会を立ち上げて、地元の足立区内で交流会を行っています。今まさにヤングケアラーの子どもたちも、私たちの存在を知ることができれば、救いになるかもしれない。ただ、本人たちは、自分が「ヤングケアラー」だと気づいていないでしょうね。かといって、ヤングケアラーと自覚して、「うちの親はダメ」なんて思ってしまうのは、親も子も不幸になる。実際そうなんだけど。
自分の親がとても不幸だったと思うのは、結局、私が親を見くびっていていたこと。そして、親がそれを察知していたこと。あるとき父親が、「どうせお前は、オレのことなめてるだろう?」と尋ねるので、「そうです」と答えました。親はやるせない思いをしたろうし、子どもとしての私は、「お前のプライドをへし折ってやる!」と精神的な攻撃を精一杯した。負けてなかったんです(笑)。
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