外国人問題の根は、日本語の壁

外国人

<インタビュー・AIA理事長 安藤勇さん>

若き日、足立区の部落やベドナム難民への支援活動を

現在は中野区在住ですが、足立区で30年間住まい活動していました。

生まれはスペインです。母国の大学を卒業後、イエズス会の宣教師として日本に赴任し、やがて帰化して日本名「安藤勇」を名乗ることに。

 

かつて上智大学で教えていましたが、足立区は、専攻していた社会学の研究対象でした。貧しい世帯が多く暮らしますが、とても人に優しい土地柄で、外国人に対してもそうです。昔から北朝鮮や韓国の人など在日外国人が多く住んでいました。中小企業が多く、作業所などの仕事の場がたくさんあり、働きやすいからです。

学生時代には、同区の綿谷部落でボランティア活動に従事。体の弱い児童のための施設「愛児館診療所」に住み込んで働きました。8年間過ごした後、施設の中ではなく、人の中に住もうと、西新井橋の近くの古いアパートを借りて、次は関原部落の支援活動をやりました。また、日本の外では、ベトナム戦争による難民の支援にも深くかかわることに。

 

「日本語の習得こそ、在日外国人の救いとなる」と実感

神父としては、梅島駅から徒歩5分のカトリック梅田教会に長く務めました。主任司祭を手伝っていた当初、近くのカトリック教会を知らなかった数人のフィリピン人に、梅田教会を案内すると、500人ほどのフィリピン人の信者が集うようにもなりました。

あれは日曜日でしたか、教会のミサが終わった後、2人の外国籍の男性が、私に相談したいと言います。会社の社長から「月曜から会社に来なくていい」と急に宣告され、B5の紙を手渡されたそうです。日本語の文書なので読めない。私が調べると、契約解除の書類で、社長のハンコが押され、彼らのサインがある。名前を書くことで、自分自身をクビにしたことになっている。これを見て、「日本語の習得こそ、この人たちの救いになる」と強く思いました。

 

そこで、NGO「むすびの会」をつくり、外国人の大人と子どもに日本語を教える活動を開始。梅島駅前の安いアパートを借り、他のボランティアと一緒に、土日に日本語教室を開きました。生徒は主に建設現場で働く人が多かったので時間もあまりとれませんでしたが、とにかく6年間続けました。

 

東京都内のミッションスクールに、会設立の支援を求める

日本語をしっかりできるようになるには、やはり土日だけでは無理。なるべく毎日授業をできるように、組織を大きくしたいと立ち上げたのがAIAです。

 

設立にあたって実現したいコンセプトをいろいろ考えていました。外国人の多くが学齢期の子どもをお持ちでしたが、その子たちの日本語教育にも力を入れたい。言葉が理解できないことで無力感を抱く子が多いからです。また、短時間で習得度を高めるには、一つの教室に5~10人と詰め込むのでなく、一対一の対面式にし、個別でじっくり教えたいとも。

それらを実現するには、ある程度の規模の場所が必要になります。当初は、千代田区にあるイエズス会の施設が思い浮かびましたが、足立区から通うには交通費がかかってしまう。貧しい家庭にとって負担になる。地元でやらなければ意味がないわけです。しかし、私たちには、力もお金もないので、家を買うこともできない。ボランティアの数もさらに必要になる…。

悩んだ末、東京都内のミッションスクールを経営する団体(修道会)に支援を求めることにしました。まずは、私の職場である上智大学に相談。同大学は、ボランティア精神の養成を掲げていますが、理論ばかりで現場を知らないところがある。「若い学生たちが足立区に入り、実際に困っている人を助けるのは、現場を学ぶ良い機会になる」と説得し、承諾を得ました。それから6、7校の責任者に直接お会いして話し、結果、雙葉中学校・高等学校、聖心女子大学、光塩女子学園経営団体の協力も得ることに。

あれから紆余曲折、先の学校のご支援、一般からの寄付、授業料(大多数は、支援により 無料)などいただきつつも、常に財政難。安い賃料を求めて3回引っ越し、現在の所に落ち着いています。

 

AIAの仕事は日本語教育にとどまらないようになりました。弁護士の方と連携し、経済問題、家族問題、ビザ関係、強制送還など、幅広く対応しています。生徒さんに向き合うと、どうしてもこれらの問題に直面しますから。

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